習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『蟹工船』

2009-07-08 06:43:42 | 映画
 SABU監督の新境地なのだろうが、全然面白くない。彼が頭で作ったような映画を見ても面白いはずがないと思っていたが、ここまでつまらないとは、別の意味で驚いた。走らないSABUなんてSABUじゃない、だなんて言うほど彼のファンではないが、走りを禁じられて、ビジュアル重視の映画として、小林多喜二である。見る前から、なんか、想像を絶した。怖いもの見たさに近い感覚で劇場に足を運ぶ。

 始まってしばらくは、なかなかおもしろいと思った。シュールな空間を舞台にしたコメディータッチの語り口は悪くない。労働者たちの貧乏談義のシーンなんか、笑える。だが、いかんせんお話が図式的すぎる。それは原作がそうなのだから仕方ないが、今、小林多喜二のプロレタリア文学の金字塔であるここ小説を映画化する上で、必要だった今という時代の気分が原作にとらわれたことで薄まってしまったのが残念でならない。いくら松田龍平が演説をぶっても、何も状況は変わらないし、彼が死んだのは、彼が代表者だったからで、代表なんかを決めたことが問題なのだ、なんてラストで言うけど、そんな簡単な話ではないでしょ。

 複雑に絡み合った支配者と非支配の関係(まぁ、本当は単純なのですが)にあんな形で決着つけても、それでは映画は終われないと思うが。正直言ってラストには拍子抜けした。あれで終わりなのか?旗振って終わりか。みんな殺されるぞ。というか、こんなことしてもなんの変化もないぞ。

 西島秀俊の鬼工場長はふつうのこの手の役とは違いとても静かでマイルド。悪くはない。六平直政あたりがやるような役なのだが、六平さんではあまりにパターンだ。西島があんな風に演じるから、ある種の不気味さが出る。だが、ほんとの闘うべき相手は彼なんかではない。彼はただの中間管理者にすぎない。そんなことみんなわかっている。わかっていて、闘うのだ。

 オホーツクの海の上のこの閉ざされた蟹工船の中で、暴動が起きる。でも、体制には何も影響が出ない。軍が鎮圧のために兵を出す。それだけのことだ。では、彼らは無駄死になのか。実際の問題はここからではないか。この戦いを通して何を手にすることが出来たのか。描かなくてはならない問題は山盛りある。そこを素通りして終わるわけにはいかないはずだ。

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