習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『名前のない少年、脚のない少女』

2012-03-29 22:07:07 | 映画
 なんだかとても疲れてしまった。(今日まで3日間、恒例行事であるクラブの春合宿だったのだ)こんな日は、ただ、何も考えないで、ぼんやりと映画でも見たい、と思った。どこの国の、どんな映画なのかも、わからないような作品を見ようと思って、これをレンタルしてきた。何の予備知識もなく、タイトルだけで選んでみた。ちょっと重かったが、今の気分にマッチした映画だった。

 何よりもまず、なんとも不思議なこのタイトルに心魅かれた。パッケージにあるストーリーも読まずに借りてきて、見始めてしばらくしても、そして、最後まで見ても、このタイトルのままで、よくわからない映画だった。

 少年はここからただ出て行きたい。母と2人暮らし。父が死んでから、母は、彼しか頼るものがない。だが、それが彼には重荷だ。家はもちろん、学校でも、居場所はない。ボブ・ディランに憧れる。ネットでつながる外部の知らない人の言葉に耳を傾ける時は心が安らぐ。友人はいる。2人で過ごす時間は心地よい。だが、彼は自分ではない。自分はひとりだ。心中して生き残った男がこの町に帰ってくる。友人の姉の恋人だ。ということは、死んだのは友人の姉である。彼と親しくなる。自分に似ている、と思う。

 と、こんなふうに書いてきてはたしてそんな話だったか、と言われると、自信がなくなる。説明がなく、どこまでが現実でどこからが幻想なのかその区別も曖昧なままだ。長回しの多用も、混乱を招くような見せ方もわざとしている。ここに出て来る自殺した少女とその恋人である男は、果たして本当に存在するのか。ネットの動画で見たものは事実なのか。

 ラストで、少年は生き残った男と共にこの町を出て行こうとするが、2人が自殺した橋の上に戻ってきてしまう。この橋を渡って町を出ていけない。その直前にある、変電所に忍び込み、そこで死んだ少女とキスをするシーン。このへんの見せ方もとても変だ。まるで少年と男がキスをするように見せる。そんなことも、こんなことも、好意的に見ると、観客を煙に巻くためではなく、主人公である少年の内面を混沌としたままで提示するためだ、とも言える。

 だが、映画がそういう曖昧さに逃げるのはよくない。これでは作り手が自分の世界に酔ってしまって、観客を置き去りにしている。少年が結局はどこにも行けない、という結末をどうこいうつもりはないが、映画自身も袋小路に陥り、どこにも辿りつかないのは、どうだか、である。雰囲気はあるし、この感触は悪くはない。だが、ただそれだけでは、作者の独りよがりにしかならない。これでは昔よくあった学生が作った頭でっかちの自主映画だ。自分ひとりで悦に入っている。

 これはブラジル映画らしい。めずらしい。しかも、普通の商業映画ではなく、小難しいアート映画だ。でも、一応ちゃんとした劇映画で、日本でも劇場公開されているようなのだ。世の中にはいろんなものがあるなぁ、と思った。

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