一昨年『新撰組』を1時間の作品2本ずつ2部構成で上演した。4人を主人公にした4部作として上演したのだ。昨年、完結編としてエピソードを追加してコンプリートしたはずなのに、今年、さらにもう1本。今回は何とスピンオフ短編集として小さなエピソードを拾い集めての上演である。本編ではカットした語り尽くせぬエピソードをなんと7つ散りばめる。
悪役芹沢鴨を嬉々として演じる田渕法明が楽しい。作、演出の大塚雅史は、全体は群像劇なのだけど、彼を軸にしてお話全体をシリアスではなく、コミカルに仕上げるという冒険を試みる。見始めたときには4話からなるエピソードにしたのかと思った。芹沢から始まり、沖田総司、近藤勇、土方歳三というパターンで、2時間(1話が30分で)。お話は徐々にシリアスに移行していくというよくあるパターンだと思った。ただ、それにしてはひとつひとつのエピソードが短いな、と思っていると、なんのなんの、5話から6話、7話とまだまだ続く。なんと7話からなる短編オムニバスだったのである。さらにはラストのお祭り騒ぎ。あれにも驚く。
笑いを中心にしたシンプルなストーリー。いつも以上に各エピソードはお話をちゃんと前面に押し出す。だが全体は大きな物語にはならない。短いコントのようなエピソードすらある。小さなお話をちゃんと見せる、という姿勢だ。そして、そこでの役者たちは気負うことなく、実に楽しそうで、作品もミュージカル仕立てになっており、そこで、のびのびと演じている。いろんな意味で本編とは明らかに違うタッチがいい。
新撰組クロニクルは本編でやっているからこのスピンオフではそれはしない。明らかに明るめの軽いタッチで統一しようという意図は明確だ。でもそれはとんでもない冒険であろう。新撰組を題材にしてそういうスタンスで挑んだ映画やドラマ、芝居は今まで見たことがない。大塚さんは何度となく,様々な角度から新撰組と向き合ってきた。その自信の上にこの作品はある。スピンオフの気安さというよりも,この作品にはそんな大胆なアプローチを本気で成功させるための緻密な計算がなされており、素晴らしい。
主人公だけではなく、各エピソードにも語り手が用意されて、それぞれのお話が独立している串団子状態で示されるのだが、同時に彼らの歴史も見えてくるように構成される。なんとお話は大正時代から始まる。全体は生き残った志士があの頃を語るというスタイルだが、小さなエピソードを統一した語り手の視点ではなく、各エピソードでも、さらに主人公と彼を見守る男を設定して2つの視点から描くという凝った構成を取る。こういう形での群像劇というのも珍しい。今回はダンスより殺陣がメインなのもいい。彼らが生きた時代を彼らの日常描写も織り交ぜながら、その明暗を「明」を軸にして構成する。軽いタッチだが、軽いだけの芝居ではない。