なんだかとても懐かしいタッチの芝居なのだ。一種の不条理劇なのだけど、作品の作りがとても緩い。その緩さが優しくて楽しい。これは明らかに確信犯的な行為だ。この場所に偶然、あるいは必然で集まってきた人たちがこの行き止まりで迷走する。港の美しい公園。そこはどこでもないし、どこでもある。とりあえず今日、この公園は閉鎖されるらしい。そんな一日の物語。
今日ここでは「ミスターX」によるクロージング・ライブが行われるらしい。しかし、ミスターXって誰だ? 誰が彼を呼んだのか。誰がそれを知ったのか。どうして知ったのか。ここは公園倫理委員会が管理している。しかし、それって何? 謎ばかりなんだけど、そんなこんなに躊躇しない。
この公園には穴があってそこを乗り越えることで人たちは行き来する。穴って何? そこも説明しない。考える暇も与えない。彼らがなぜここに来たのか。何を求めてここにいるのかも、明らかにされない。ここにある灯台、その灯台守は毎日完成しない業務日誌をつけていた。でもその報告書も今日からはもう必要なくなる。これまで書き続けてきた段ボール何杯分もの報告日誌が棄てられる。バラバラに見えるそんな雑然としたエピソードが自由に描かれる。
伝説というのは大袈裟だけど、このふだんは誰も気にもとめない公演で彼らは音楽を奏でる。その瞬間はきっと彼らにとって伝説になる。ここには特別な意味とか、理由とかはない。でもここにはすべてがある。これはそんな気分にさせられる芝居なのだ。意味を求めるとなんだかよくわからないから混乱する。雑然と散りばめられたエピソードがなんとなく集められた彼らの一日を作る。
閉じられた劇場ではなく、KAVCの1階スペースを使って建物自体も取り込んで、外からも見える場所で、お芝居は始まり、終わる。果たして芝居はここでほんとうにあったのかどうかも定かではない。そんな気分にさせられる。
海の見える公園。というか、海の手前にある岬の公園。行き止まりであり、海の始まりでもある場所。そこでひとときの幻を見た。それだけの事実で充分,満足できる。芝居の魅力は理屈ではない。だから納得なんかいらない。ただ心地よく、刺激的で楽しくて切ない。それだけで十分なのだ。