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映画・演劇のレビュー

奥泉光『地の鳥 天の魚群』

2011-12-27 17:31:46 | その他
 夢を視ない(この作者は頑なに「見ない」ではなく、「視ない」の表記を使う)男が、不思議な夢を見ることから始まる現実とも、幻想ともいえるドラマ。主人公は石脇氏。(この作者は、頑なに主人公に「氏」をつけて表記する)この「頑なさ」がこの小説を形作る。そんな彼が絶望という名の夢を見る。Kという男が、そう告げる。Kはただの隣人だ。だが、息子の失踪に係わる。

 妻と2人の子供たちによる4人暮らし。どこにでもある平凡な日常、のはずだった。なのに、息子はわけのわからない宗教に走って家を出る。彼が嵌ったのはテレフォン宗教なんていうものだ。電話からの電波によって癒されるらしい。娘は、いきなり自分の意思で人形になる。一切の動きを止めてしまうのだ。学校で流行っている遊びなのだが、普通は誰かが人形になる呪文のようなものをかけると、かけられたものは呪文を解くまで動いてはならない、というゲームらしい。彼女は誰からも呪文をかけられてはいない。自分の意思でもう動くことはない。そんなことは不可能だ。だが、現に動かない。糞尿も垂れ流す。

 まるで安部公房の小説でも読んでいる気分だ。奥泉光、28歳のデビュー作である。この30年近く前に書かれた幻の作品が、今よみがえり、出版される。彼はこういう不条理を当然のこととして平気で見せる。みずみずしい文体が心地よい。描かれることは、バカバカしいはずだが、笑えない。描き方が冗談ではないからだ。ナンセンスとしか言いようがない自体をシリアスに描く。だが、とてもシリアスな事態とは思えない。

 どうしてこんなことが起きてしまったのか。わけがわからないまま、石脇氏はこの事態を冷静に受け止めて、対応する。石脇氏はすべての原因である学校にある山羊の墓に向かう。(なぜ、これが原因になるのかは、わからない。ただ本人がそういうからだ。もちろん、それが原因だなんてとても思えない。)昔、山羊を死なせてしまったことが描かれるのだが、それがどうして今ここにある現実の原因になるのか。

 幻想だから、と開き直るのは可能だ。夢の中の出来事として終わらせることもできる。だが、そうではないことは石脇氏自身が一番よくわかっている。作者は最後まで緊張感を持続する。断ち切るようにいきなり終わる。鮮やかな手つきだ。

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