習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

赤星マサノリ×坂口修一『男亡者の泣きぬるところ』

2011-12-27 18:26:20 | 演劇
 昨年12月から1年をかけて全国4か所をまわった赤星マサノリ×坂口修一による2人芝居の凱旋公演。たまたま僕が見た回は、キャストを入れ替えたイヴの奇跡ヴァージョン。よりによってせっかく見るのに唯一の変則ヴァージョンでなくてもいいのに、とも思うが、この回の上演しか、スケジュールが合わなかったのだからしかたない。でも、結果的にはこのヴァージョンが見れて得した気分だ。

 2人に当て書きした台本を入れ変えて演じることで、お互いがお互いのキャラクターをなぞって演じるフェイクドラマになってしまう。だが、もともとこの台本自体が、そういう様相を呈している。まるで別のキャラクターの2人がお互いを拒絶するくせにお互いにあこがれ嫉妬する。一見なんの接点も持たない、まるで正反対のキャラの2人が、偶然にも2人だけで密室に(エレベーターの中)閉じ込められたことから起こる物語の中で、もし、自分が相手であったなら、と思ってしまう瞬間を描いているのだから、この演出上の逆転劇は、この作品の本質をなぞっているのかもしれない。

 ぴったりとハマってしまいすぎる2人のキャラクターで見せるオリジナル以上に、この逆転はもう一段階進化したこの作品の目指すものが見える上演形態となっていたのではないか。

 まるで漫才のような掛け合いで送るこの密室劇は、そのあまりにも偶然に頼り過ぎたバカバカしいお話を通して、リアルではない虚構だからこそ描ける悲喜劇を現出させる。話は、偶然にも程がある、ぐらいにありえない偶然の連鎖だ。だが、そんな偶然によって描けるドラマがある。

 目の前にいるもうひとりの自分と向き合うことで、生きれたかもしれない選べなかった人生のアナザーサイドを目撃する。後悔と、今からでもやり直せるのではないか、という一抹の希望。失くしたものの大きさ。偶然から、そこに生じた可能性。まだ、間に合う、と夢見る瞬間。そんな未練が描かれる。

 チャラチャラしたフリーターの男(坂口)と、堅実を絵に描いたようなつまらないサラリーマン(赤星)が、ひとりの女を通して正面から向き合い、彼女を取り合うこととなるというドラマを、このデコボココンビが狭いアクティングエリア(広い舞台に、わざとそう作る)に身を寄せ合い、汗まみれになって演じるドタバタ劇は、2人の個性を最大限に生かすことで成し遂げられた奇跡の舞台となった。たまたま見たこの変則上演が、結果的にはオリジナルを超えるものとなる。(もちろんそれはこの2人のキャラクターをよく知っているからそんなふうにいえるだけで、この2人を初めて見る人なら、オリジナル版のほうが、楽しめるはずだが)

 とても楽しくて、切ないバカな男たちの狂騒曲。軽く見れて、大いに笑える。そして、ちょっと泣ける。そんなエンタメ芝居の王道をいく作品だ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 奥泉光『地の鳥 天の魚群』 | トップ | 『アブラクサスの祭』(改訂版) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。