写真批評やルポルタージュを書く大竹昭子さんの小説集だ。10篇の短編からなる。彼女の視点から世界が描かれる。それは一人称ということではなく、カメラアイ自体が筆になる、という感じだ。エッセイのような軽やかさで静かに語られるさまざまなお話の虜になる。
どんどんその世界にはまり込む。そして、そこでまどろむ。これは旅の感覚に近い。題材は直接旅を扱うわけではない。だが、なんとなくそんな雰囲気に包まれる話ばかりだ。つげ義春を思わせる。なんとなく隠れ里のような部屋を借りる話ってつげ義春のマンガにある。表題作『随時見学可』はそんな話。だが、途中で時空がねじれてきて、なんともいいがたい世界に陥る。その感じがとても気持ちいい。
日常が溶け出して、なんだかわからない世界に誘い込まれる。ありふれた風景がいつのまにか、どこにでもあるはずの、でもたぶんどこにもない、そんな世界になる。ともだちの家の本棚。ともだちの家のハウスシッターとなる日々。古いマンションの下の部屋の水漏れ。タイ式マッサージの仕事部屋。どこにもないはずの狐塚公園に行くこと。木造モルタルの古いアパートの部屋に住む。等々。
ここではないどこか。ずっとここで暮らす日々。それがずっと続く思っていた。だが、いつのまにか、なくなる。あるいは反対に気がつくとずっと時間がたっていること。夫婦で暮らす時間の中に埋没したもの。日常のさい果てにあるもの。
まるで古ぼけた写真をずっと見ているような気分だ。その中には自分の知らない世界がある。それは自分が生まれる前の風景のようで。懐かしいのに、初めて見る。そんな新鮮さがここにはある。ずっとこの小説の中でまどろんでいたかった。読み終わるのが怖かった。でも、もう読み終えてしまった。だから今は後悔に包まれている。
どんどんその世界にはまり込む。そして、そこでまどろむ。これは旅の感覚に近い。題材は直接旅を扱うわけではない。だが、なんとなくそんな雰囲気に包まれる話ばかりだ。つげ義春を思わせる。なんとなく隠れ里のような部屋を借りる話ってつげ義春のマンガにある。表題作『随時見学可』はそんな話。だが、途中で時空がねじれてきて、なんともいいがたい世界に陥る。その感じがとても気持ちいい。
日常が溶け出して、なんだかわからない世界に誘い込まれる。ありふれた風景がいつのまにか、どこにでもあるはずの、でもたぶんどこにもない、そんな世界になる。ともだちの家の本棚。ともだちの家のハウスシッターとなる日々。古いマンションの下の部屋の水漏れ。タイ式マッサージの仕事部屋。どこにもないはずの狐塚公園に行くこと。木造モルタルの古いアパートの部屋に住む。等々。
ここではないどこか。ずっとここで暮らす日々。それがずっと続く思っていた。だが、いつのまにか、なくなる。あるいは反対に気がつくとずっと時間がたっていること。夫婦で暮らす時間の中に埋没したもの。日常のさい果てにあるもの。
まるで古ぼけた写真をずっと見ているような気分だ。その中には自分の知らない世界がある。それは自分が生まれる前の風景のようで。懐かしいのに、初めて見る。そんな新鮮さがここにはある。ずっとこの小説の中でまどろんでいたかった。読み終わるのが怖かった。でも、もう読み終えてしまった。だから今は後悔に包まれている。