習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『火天の城』

2009-09-15 23:55:19 | 映画
 ここまで地味な映画に仕上げても大丈夫だと思ったのか。作り手には不安はなかったか。これだけの大作である。見せ場は、城作りの現場を忠実に再現することだけでは、15億円を注ぎ込んだ時代劇大作としてアピールできないと製作会社が難癖をつけてきても不思議ではない。東映は絶対もっと派手な見せ場を用意して欲しかっただろう。興行に多大な不安が残る。

 でも、こういう映画として完成させた。それは田中監督を始めとするスタッフ、キャストの心意気か。俺たちの映画はこれで大丈夫なのだ、とみんなが信じた。それって凄い。まぁ、確かに信長暗殺を狙う刺客が襲ってくるなんていうシーンはあるにはある。そこでは派手な立ち回りもないこともない。だが、それさえ映画の傷に見えるくらいだ。石が転がってもワイヤーで九の一が飛んでも、それでは見せ場にならない。だいたいそんなものは不要だった。

 それにしても思い切ったことをするなぁ、と思う。信長の命通りに、安土城は無事3年で完成する。だが、その苦難のドラマ、そこに感動はない。しかも史上最大の五層七階の絢爛豪華な城がその威容を見せるラストシーンがまた地味だ。さらっと見せて終わる。CGによる薄っぺらな映像でしかないし、大事なのはそこではないからだ。

 これは安土の山をまるごと城にしてしまうという織田信長のとんでもない話を現実にしていく男たちの話だ。彼らはただの名もない職人たちである。だが、彼らはその人生すべてを賭けてこの巨大プロジェクトに挑む。ただ城を作るだけの映画のためにすさまじい情熱を注ぎ込んだこの映画の製作チームと同じように、この主人公のチームはこの史上最大の城作りに挑戦する。

 映画であること以上に、これはこの企画を押し通すことの凄さに圧倒される。正直言うと映画自体はつまらない。これだけのビッグ・バジェットがこんなにも腰のない単調な映画でいいはずがない。熱い映画ではないことは、この映画のねらいでもあろうが、それによって得られる成果は感じられないまま終わった。はたしてこれが正解なのか、疑問だ。だが、こんな映画が出来てしまったことをやはり凄いことだと認識する。

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