村上ラヂオの第2作だ。10年振りとなるらしい。アンアン連載のエッセイである。村上春樹のまるでなんでもないたわいないエッセイなのだが、そのあまりの「たわいもなさ」がうれしい。どうでもいいことをどうでもいいままに書く。それを有り難がるってどうよ、とも思うけど、まぁ、「有り難がる」というのではなく、ただ楽しいから、それだけなのだ。
村上春樹はエッセイが苦手だ。本人がそう言っているのだから、その通りなのだろう。本人は自分は本職が小説家だから、と言う。翻訳はどうか、というと、それは好きだから、と言う。じゃぁ、エッセイは、と言われると、難しいらしい。なんだかな。きっと彼は普通の人とは違うのだ。簡単に書く、なんてことができない人なのだろう。それは沢木耕太郎さんがあまりエッセイを書かない、といいうのとはちょっと違う。(というか、全然違うのだが)
気合いがこもった沢木エッセイと違って、気合いをどこまで入れないかが、村上エッセイの挑戦なのだ。とうか、そんな挑戦はしてないけど。この短いエッセイの数々を読むと、それだけで、なんだか「ふふん、」と思える。なんかいいよな、って感じなのだ。その理由は説明できない。というか、説明しても意味がないからだ。だから、ただ「ふふん、」である。大橋歩さんのイラスト(銅版画)も不思議なマッチングで、「だから?」と思いながらも、そうだよね、と思わされる。なんだかようわからないけど、いいのだ。
と、ここまで書いてきて、何も書いてないのと、同じだな、と思った。でも、僕もそこで「ふふふ」と思い、こんな感じでいいよね、と言いたくなる。もちろん、村上春樹さんに、だなんておこがましい。そうではない。この素敵な本に対して、だ。軽くて、読み終えたなら後に何も残らない。でも、そこがとてもいい。それだけ、の魅力。
村上春樹はエッセイが苦手だ。本人がそう言っているのだから、その通りなのだろう。本人は自分は本職が小説家だから、と言う。翻訳はどうか、というと、それは好きだから、と言う。じゃぁ、エッセイは、と言われると、難しいらしい。なんだかな。きっと彼は普通の人とは違うのだ。簡単に書く、なんてことができない人なのだろう。それは沢木耕太郎さんがあまりエッセイを書かない、といいうのとはちょっと違う。(というか、全然違うのだが)
気合いがこもった沢木エッセイと違って、気合いをどこまで入れないかが、村上エッセイの挑戦なのだ。とうか、そんな挑戦はしてないけど。この短いエッセイの数々を読むと、それだけで、なんだか「ふふん、」と思える。なんかいいよな、って感じなのだ。その理由は説明できない。というか、説明しても意味がないからだ。だから、ただ「ふふん、」である。大橋歩さんのイラスト(銅版画)も不思議なマッチングで、「だから?」と思いながらも、そうだよね、と思わされる。なんだかようわからないけど、いいのだ。
と、ここまで書いてきて、何も書いてないのと、同じだな、と思った。でも、僕もそこで「ふふふ」と思い、こんな感じでいいよね、と言いたくなる。もちろん、村上春樹さんに、だなんておこがましい。そうではない。この素敵な本に対して、だ。軽くて、読み終えたなら後に何も残らない。でも、そこがとてもいい。それだけ、の魅力。