チェン・カイコーの新作である。だが、なんだかあまり評判はよくないようだ。でも、僕は彼を信じているから、必ず見に行く。『始皇帝暗殺』の時も、そうだった。かなり評判は悪かったようだが、そんなことは断じてない。あれはいい映画だった。ただの贔屓の引き倒しではない。まわりの人たちの勘違いだ。彼はいつも変わらない。周囲に合わせてみんなが喜ぶような映画は作れない。そのへんがチャン・イーモウとは違うのだ。
初めて『黄色い大地』を見たときの衝撃は、生涯忘れることはできない。あのささやかな映画にある哀しみに心打たれた。あの頃、徳間が毎年中国映画祭を行い、そこで10本ほどの中国映画の新作が細々と上映されていた。そのほとんどはつまらない映画で、なのに、僕はそれでも、毎年2本から4本ずつ必ず見てしまっていた。そして、いつもがっかりした。当時の上映は2本立で、上映された大体2プログラムくらい見たからだ。中之島中央公会堂で上映された。その年もラインナップの中からめぼしいものを選び、見に行った。
その中に『黄色い大地』がひっそりと収まっていたのである。あの頃から中国映画はおもしろくなった。第5世代と呼ばれる人たちが新しい中国映画を作った。その第1歩が『黄色い大地』だったのである。
それは砂漠にある村に失われた民間伝承の歌を採取するためやってきた男と、村の少女のふれあいを描いた映画だった。貧しい少女は街での暮らしを夢見る。だが、青年は彼女の夢を叶えられない。歌の採取を終えたなら去っていくしかない。少女はここから出て、豊かな世界に行き、幸せな暮らしをしたいと望む。だが、叶わないまま、ここで一生を送るのだろう。痩せた大地にへばりつき、生きる。少女の切ない瞳が脳裏に焼き付いて離れない。
翌年、チェン・カイコーの第2作『大閲兵』が同じ中国映画祭で上映された時、期待に胸膨らませて見に行った。そして、前作以上の衝撃を受けた。たった数百歩のために血の滲むような訓練を繰り返す兵士たちの姿。あの頃、この2本の映画が、僕の中の中国だった。
その後、彼の作品はすべて見ている。『キリング・ミー・ソフトリー』さえ見ている。というか、あの映画も世評のような酷い映画だとは思わない。アメリカ映画に挑戦した彼の試みは惨敗に終わったわけではない。だが、彼はもうそういう映画は作らない。その後の『北京バイオリン』も会心の作品とは言えない。だが、常に彼は自分の興味関心の赴くまま映画を作る。そこには妥協はない。
今回の映画を見ながら、特に後半の展開に、心躍る。こういうバランスの悪さが素晴らしい。思うように映画を作れない。でも、自分を曲げない。だからポイントが明確にならない。周囲の評価は下がる。でも、気にしない。
これは彼の第4作『人生は琴の絃のように』のような作品だ。一種の寓話なのである。前半を見ているとなんだか戦争スペクタクルのような印象だが、一転して、後半は、大きな映画から、父子の情愛を描いた小さな話になる。その変わり身についてこられない人もいるだろう。だが、彼は最初からこの話を大作として撮るつもりはなかったはずだ。とはいえ、セールス上の問題もあり歴史大作の意匠を必要としたのも事実だ。騙されたと思った人には気の毒だが、彼はこの映画を、このどうしようもない世界に放り込まれたひとりの子供と、彼を育てる運命を委ねられたひとりの男の物語として、作ることにした。
だから、これは復讐劇ではない。そして、運命の子は、彼だけではない。あの時捕らえられた100人の子供たちもそうなのだ。そして、すべての子供たちがそうなのだ。かつて彼が『子供たちの王様』を作ったとき、目指したことの延長線上にこの作品はある。巨大な国家のもとで、自由を奪われて、それでも自由を求める子供たち。中国をどう描くのか。これから彼がこの国でどんな映画を作ることが可能なのか。そんなこんなを最後まで見届けたい。
初めて『黄色い大地』を見たときの衝撃は、生涯忘れることはできない。あのささやかな映画にある哀しみに心打たれた。あの頃、徳間が毎年中国映画祭を行い、そこで10本ほどの中国映画の新作が細々と上映されていた。そのほとんどはつまらない映画で、なのに、僕はそれでも、毎年2本から4本ずつ必ず見てしまっていた。そして、いつもがっかりした。当時の上映は2本立で、上映された大体2プログラムくらい見たからだ。中之島中央公会堂で上映された。その年もラインナップの中からめぼしいものを選び、見に行った。
その中に『黄色い大地』がひっそりと収まっていたのである。あの頃から中国映画はおもしろくなった。第5世代と呼ばれる人たちが新しい中国映画を作った。その第1歩が『黄色い大地』だったのである。
それは砂漠にある村に失われた民間伝承の歌を採取するためやってきた男と、村の少女のふれあいを描いた映画だった。貧しい少女は街での暮らしを夢見る。だが、青年は彼女の夢を叶えられない。歌の採取を終えたなら去っていくしかない。少女はここから出て、豊かな世界に行き、幸せな暮らしをしたいと望む。だが、叶わないまま、ここで一生を送るのだろう。痩せた大地にへばりつき、生きる。少女の切ない瞳が脳裏に焼き付いて離れない。
翌年、チェン・カイコーの第2作『大閲兵』が同じ中国映画祭で上映された時、期待に胸膨らませて見に行った。そして、前作以上の衝撃を受けた。たった数百歩のために血の滲むような訓練を繰り返す兵士たちの姿。あの頃、この2本の映画が、僕の中の中国だった。
その後、彼の作品はすべて見ている。『キリング・ミー・ソフトリー』さえ見ている。というか、あの映画も世評のような酷い映画だとは思わない。アメリカ映画に挑戦した彼の試みは惨敗に終わったわけではない。だが、彼はもうそういう映画は作らない。その後の『北京バイオリン』も会心の作品とは言えない。だが、常に彼は自分の興味関心の赴くまま映画を作る。そこには妥協はない。
今回の映画を見ながら、特に後半の展開に、心躍る。こういうバランスの悪さが素晴らしい。思うように映画を作れない。でも、自分を曲げない。だからポイントが明確にならない。周囲の評価は下がる。でも、気にしない。
これは彼の第4作『人生は琴の絃のように』のような作品だ。一種の寓話なのである。前半を見ているとなんだか戦争スペクタクルのような印象だが、一転して、後半は、大きな映画から、父子の情愛を描いた小さな話になる。その変わり身についてこられない人もいるだろう。だが、彼は最初からこの話を大作として撮るつもりはなかったはずだ。とはいえ、セールス上の問題もあり歴史大作の意匠を必要としたのも事実だ。騙されたと思った人には気の毒だが、彼はこの映画を、このどうしようもない世界に放り込まれたひとりの子供と、彼を育てる運命を委ねられたひとりの男の物語として、作ることにした。
だから、これは復讐劇ではない。そして、運命の子は、彼だけではない。あの時捕らえられた100人の子供たちもそうなのだ。そして、すべての子供たちがそうなのだ。かつて彼が『子供たちの王様』を作ったとき、目指したことの延長線上にこの作品はある。巨大な国家のもとで、自由を奪われて、それでも自由を求める子供たち。中国をどう描くのか。これから彼がこの国でどんな映画を作ることが可能なのか。そんなこんなを最後まで見届けたい。