このチラシが素敵だ、初めて見たときに、「絶対にこの芝居が見たい」と思った。そう思わせるだけのものがちゃんとそこにはあったのだ。コンブリ団の芝居だと後でわかった。とてもよくできている。広げてもいいけど、折り曲げたらもっといい。チラシの文章が好き。「夏休み、五右衛門風呂。ぽっとん便所。(ぼっとん、では、ないのかぁ)海水浴。母のお弁当。ばあちゃん家。今はもうない。」表の端に書かれたその7行が、折り曲げると、裏の左側の文につながる。5行、間があいて、さらに2行。シルエットの少年の姿。駆け出す少年の影。
勝手に甘酸っぱい少年の日の感傷をイメージした。だが、はしぐちさんがここに提示した世界はもう少しビターでほろ苦い。甘い話を期待した僕の感傷なんか簡単に跳ね返す。ノスタルジックで感傷的な夏の日の思い出。少年期のおばあちゃん家で過ごした夏休みの記憶。夏の日々。そんなこんなを粉砕する。
だいたい、はしぐちさんはなかなか少年を「そこ」にたどり着かせない。おばあちゃん家は果てしなく遠い。夏休みのある日。少年はたったひとりで親に内緒で、おばあちゃん家に行く。ただそれだけのこと。でも、それは小学生の彼にとっては、小さな大冒険なのだ。と、いっても、おばあちゃん家は、そんなには遠くではない。電車で数駅のところにある。(実はそこが意外だった。もっと大冒険なのかと思っていたからだ)なのに、芝居の中でそこは果てしなく遠いのだ。
3人の役者たちが、帽子とリュックをバトン代わりにして少年をリレー形式で演じる。同時に少年が出会う人たち(や「もの」たち、も)をほかの2人が演じる。家から駅までたどりつくだけで、大変だ。(そこまでで、1時間の上演時間の半分近くが過ぎている!)
そんなこんなを目撃しながら、やがて、僕たちは気づく。この旅の結末に。甘い感傷を拒否するのではない。これは現実と少年が向き合う旅なのだ。芝居を見終えたとき、なんだか、とても気持ちがよかった。こういう小さな芝居だから可能なことがちゃんとそこにはある。