最近毎年公開されるアトム・エゴヤンの新作だが、今回は子供の失踪といういつものパターンではない。なんと認知症の老人が主人公だ。昨年の傑作映画『100歳の華麗なる冒険』のようなファンタジー・タッチではない。ロードムービースタイルで、施設を抜け出した老人が旅をする話であるところは似ているけど、こちらはかなりハードな内容になっている。
しかし、決してそれだけではない。1週間前、妻を失くした90歳の老人が友人の手紙に導かれて、かつての「知り合い」を探す話だ。だが、本人は認知症で相手に対しての記憶はない。
人生の最後に、自分をアウシュビッツで苦しめたナチスの残党を捜し出し殺すために4人の男たちと会う。彼らの中にその男はいる。そいつは、名前を変えて、ナチではなく、ユダヤ人のふりをしてアメリカに亡命し、70年を生きた憎むべき男だ。だが、老人はもうそんな昔のことを忘れている。だいたい妻が死んだことすら、忘れている。
たった95分の映画なのに、永遠のような時間の中を旅した気分にさせられる。それはこの数日間の旅が彼の人生の最後の旅であり、すべての旅でもあるからだ。生きてきた90年のすべてがここに極まる。亡命した時にはまだ、10代だったのだ。10代の少年がアウシュビッツで、そんなふうに生きたのか、と思うと、震える。描かれない収容所での日々が映画の終わりとともに、映画を見た僕たちに迫ってくる。まだ、子供だったから、なんて言い訳は通用しない。アンネなんて13歳だったのだし。
4人との再会(というか、3人とは初めて会うし、もうひとりのことも忘れているのだが)は、彼があの時へと向かう旅でもある。アウシュビッツで何があったのかは、誰もが想像できる。だが、そんな想像が何になるだろうか。意味はない。
クリストファー・プラマーが主人公の老人を演じている。あの『サウンド・オブ・ミュージック』の若々しい父親だった彼だ。もちろん、数々の映画で僕たちを魅了したけど、記憶の中ではやはりあの映画が一番だ。子供の頃、夢中になった映画は今でも鮮明にその頃の思い出と共に焼き付いている。それだけに、この映画が描く「もの」はずっしりと重い。3人目の死んでいた男の話が一番きつい。まず、あのロケーションに圧倒される。その荒涼とした風景は、それだけで人を滅入らせる。この世界にこんな場所があり、そこで暮らす人もいる、という事実に打ちのめされる。そしてここで展開される警官である探していた男の息子とのやりとり。そして、結末。それは、エンディングである最後の男との、思いもしない結末以上に、痛ましい。
しかし、決してそれだけではない。1週間前、妻を失くした90歳の老人が友人の手紙に導かれて、かつての「知り合い」を探す話だ。だが、本人は認知症で相手に対しての記憶はない。
人生の最後に、自分をアウシュビッツで苦しめたナチスの残党を捜し出し殺すために4人の男たちと会う。彼らの中にその男はいる。そいつは、名前を変えて、ナチではなく、ユダヤ人のふりをしてアメリカに亡命し、70年を生きた憎むべき男だ。だが、老人はもうそんな昔のことを忘れている。だいたい妻が死んだことすら、忘れている。
たった95分の映画なのに、永遠のような時間の中を旅した気分にさせられる。それはこの数日間の旅が彼の人生の最後の旅であり、すべての旅でもあるからだ。生きてきた90年のすべてがここに極まる。亡命した時にはまだ、10代だったのだ。10代の少年がアウシュビッツで、そんなふうに生きたのか、と思うと、震える。描かれない収容所での日々が映画の終わりとともに、映画を見た僕たちに迫ってくる。まだ、子供だったから、なんて言い訳は通用しない。アンネなんて13歳だったのだし。
4人との再会(というか、3人とは初めて会うし、もうひとりのことも忘れているのだが)は、彼があの時へと向かう旅でもある。アウシュビッツで何があったのかは、誰もが想像できる。だが、そんな想像が何になるだろうか。意味はない。
クリストファー・プラマーが主人公の老人を演じている。あの『サウンド・オブ・ミュージック』の若々しい父親だった彼だ。もちろん、数々の映画で僕たちを魅了したけど、記憶の中ではやはりあの映画が一番だ。子供の頃、夢中になった映画は今でも鮮明にその頃の思い出と共に焼き付いている。それだけに、この映画が描く「もの」はずっしりと重い。3人目の死んでいた男の話が一番きつい。まず、あのロケーションに圧倒される。その荒涼とした風景は、それだけで人を滅入らせる。この世界にこんな場所があり、そこで暮らす人もいる、という事実に打ちのめされる。そしてここで展開される警官である探していた男の息子とのやりとり。そして、結末。それは、エンディングである最後の男との、思いもしない結末以上に、痛ましい。