先月末、TUTAYAで1ウィークで10本のDVDを借りて見た。さすがに吐きそうになった。その時に見た作品のことを書きたいのだが、時間がないまま、今に至る。なのに懲りないでまた今週5本もまとめて借りてしまった。でも、5本なので、なんとか見ることが出来た。いずれも面白い映画ばかりで、堪能した。
『マジマル・ガール』も『ロブスター』も変な映画で、それにこの映画と3本連続で「へんな映画祭」。(ちなみに、残りの2本は『残穢』と『サウルの息子』で、これは変な映画ではない。)
へんな映画というのは、もちろん、つまらない映画というのではない。理解に苦しむようなお話なのだ。しかも、いずれも説明なし。特に、『マジカル・ガール』は究極だ。僕が一番おもしろかったのは、この『孤独のススメ』。まず、この映画について書く。
妻子を失い、ひとりぼっちになった男の話。彼のもとに頭のおかしな男がやってくる。彼を家に入れて共同生活することになる。周囲の人たちの反発や誤解の中、何も言わず、ただ、彼を受け入れ共に暮らす。彼が何者で、どうして、ここに来たか。何を求めているのか。最初は、まるでわからない。でも、彼は気にもしない。自分のペースで生きているから、そこは変えない。でも、それも、少しずつ影響されていく。仕事はしていない。もう定年退職しているのだろう。ひとりで、寂しかったから、というわけではない。(いや、そうかもしれないけど)
この映画がへんなのは、放浪する男の妻がまるで彼を心配せず自由にさせていることや、受け入れた主人公が、彼を通して変わる、とかいうわけではない、ところだ。セオリー通りの展開にはならない。(最終的にはそうなるのだけど、でも、いろんなところで、ふつうじゃない)
原題の『マッターホルン』に行くエピソードがラストに用意されるのだが、その圧倒的な景観が素晴らしい。心がそこで解放される。妻を失い、傷心の心が癒される、というよくあるパターンに収束されるのだが、そこまでのエピソードがふつうじゃないから、素直に安心するのではなく、それすらも、へんな映画のセオリーに連なる予感が残る。
冒頭のバスが行くシーンから、そのラストまでとてもスタイリッシュな映像で、貫かれる。清潔すぎる空間。きれいだ、というよりも、整然としている。それは主人公の心の中に風景のようにも思える。塵一つ落ちてない。でも、それは寂しい。孤独というものを絵にしたらこんなふうになるのか、なんて思わされる。心象風景のような映像の中、このふたりの男のお話が、なんだか心に沁みてくる。
『マジマル・ガール』も『ロブスター』も変な映画で、それにこの映画と3本連続で「へんな映画祭」。(ちなみに、残りの2本は『残穢』と『サウルの息子』で、これは変な映画ではない。)
へんな映画というのは、もちろん、つまらない映画というのではない。理解に苦しむようなお話なのだ。しかも、いずれも説明なし。特に、『マジカル・ガール』は究極だ。僕が一番おもしろかったのは、この『孤独のススメ』。まず、この映画について書く。
妻子を失い、ひとりぼっちになった男の話。彼のもとに頭のおかしな男がやってくる。彼を家に入れて共同生活することになる。周囲の人たちの反発や誤解の中、何も言わず、ただ、彼を受け入れ共に暮らす。彼が何者で、どうして、ここに来たか。何を求めているのか。最初は、まるでわからない。でも、彼は気にもしない。自分のペースで生きているから、そこは変えない。でも、それも、少しずつ影響されていく。仕事はしていない。もう定年退職しているのだろう。ひとりで、寂しかったから、というわけではない。(いや、そうかもしれないけど)
この映画がへんなのは、放浪する男の妻がまるで彼を心配せず自由にさせていることや、受け入れた主人公が、彼を通して変わる、とかいうわけではない、ところだ。セオリー通りの展開にはならない。(最終的にはそうなるのだけど、でも、いろんなところで、ふつうじゃない)
原題の『マッターホルン』に行くエピソードがラストに用意されるのだが、その圧倒的な景観が素晴らしい。心がそこで解放される。妻を失い、傷心の心が癒される、というよくあるパターンに収束されるのだが、そこまでのエピソードがふつうじゃないから、素直に安心するのではなく、それすらも、へんな映画のセオリーに連なる予感が残る。
冒頭のバスが行くシーンから、そのラストまでとてもスタイリッシュな映像で、貫かれる。清潔すぎる空間。きれいだ、というよりも、整然としている。それは主人公の心の中に風景のようにも思える。塵一つ落ちてない。でも、それは寂しい。孤独というものを絵にしたらこんなふうになるのか、なんて思わされる。心象風景のような映像の中、このふたりの男のお話が、なんだか心に沁みてくる。