オリジナルの韓国映画(『怪しい彼女』)を見た時、これはよくあるパターンだな、と思った。でも、とてもおもしろいとも感じた。2時間至福の時間だった。でも、それが翌年には中国映画としてリメイクされ、(『20歳よ、もう一度』)今年、またもや、日本映画として再映画化、である。なんと3作品ほぼ連続して毎年見ることになるなんて、またとないことだ。(実はこれだけではなく、ベトナム版『ベトナムの怪しい彼女』もある。3月に大阪アジアン映画祭で上映された)
このお話がこんなにも愛されるのは、これが、誰にでも心当たりのあることだから、だろう。若さへの想い。あのころに戻りたいという願望。これは老年に達した時のそんな微妙な想いを刺激してくる。73歳の老人が、ひと時20歳になる。
コメディにも切ない青春映画にもなる素材だ。だからどこにポイントを置いて全体のバランスを取るのかが課題となる。韓国版はコミカルに、中国版がシリアスに、拠点を置く。そこで、今回の日本版なのだが、その中間あたりにベースとなる立ち位置を設定した。その結果、2作品とは微妙に肌触りが異なる作品となる。3本とも同じ話なのに異質なものとなる、という離れ業を実現した。ただ、日本版がいちばん中途半端で、欲張りすぎ。でも、最後に作られたから、それはそれで仕方のないことなのかもしれない。
『昭和歌謡大全集』(そんなタイトルの映画はある)みたいになっている。流れる歌はそんなに多くはないけど、しっかりポイントポイントで歌われるからそういう印象を与えるし、それが映画の意図でもある。だからそのライブのシーンが作品の要なので、多部未華子が歌うシーンにこの映画の成否が賭かる。そして、彼女は見事にそんな期待に応えてくれる。彼女の歌を聞くだけで泣ける映画になった。
73歳の老女(倍賞美津子)が、20歳の女の子になる。若返る。青春をもう一度生き直す。出来なかった人生、自分が本当にやりたかったこと、それを探す。誰もが夢見るお話を映画は実現する。それが心地よいものだったなら、最高の2時間になるだろう。そしてこれはそれをしっかりと成し遂げている。
これは要するに『ローマの休日』なんだ、というのも卓見だ。第1作でも、それは匂わせていたけど、今回のヒロイン「大鳥節子」という名前の、大鳥はもちろん、オードリーで、オードリー・ヘップバーンのようになりたい、という夢の実現からスタートする。当然要潤演じる音楽プロデューサーはグレゴリー・ペックの新聞記者をイメージさせる。さらには、名前の節子は明らかに原節子で、ここまでベタな設定はない。ひと時の夢に貢献する幼馴染の男を志賀廣太郎が演じる。しぶい。ここを若手(?)の大杉漣なんかにはしないのが素晴らしい。志賀さんは決して年寄りではないけど、ちゃんと年寄りにもなれる。若き日の(『東京物語』)笠智衆のような役者なのだ。こういうキャスティングが作品の成否を分ける。いろんなところで、実によく考えられてある。
そして、もう一度言う。多部未華子だ。なんてキュートなんだろうか。彼女の存在なくしてこの映画はない。昨年の『ピース・オブ・ケイク』もよかったけど、今回コメディエンヌとしての彼女才能が最大限に発揮された。明るいのがいい。どうしてもこれは感傷過多になりかねない話だ。しかし、そうはさせない。なのに泣かせる。そういうバランス感覚の見事さは彼女だからこそ可能だったのだ。小林聡美演じる娘(!)とのやりとりも素晴らしい。この映画のもうひとつの肝はそこだ。オリジナルにはないその設定が映画に奥行きを与えている。