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映画・演劇のレビュー

くじら企画『夜が掴む』

2012-07-17 22:37:52 | 演劇
25年も前の作品となる。犬の事ム所時代の作品だ。これは20年振り、2回目の再演となる。今改めて見ると、これは作品としては甘い。でも、そんなことは当たり前のことだ。まだ大竹野が20代だった頃の作品である。そこに完成度を望むなんてナンセンスな話だ。そんなことよりもこの作品も孕み持つ不穏な空気や、熱気と勢いの方を大事にしたい。それは若さゆえではなく、大竹野正典という作家の資質の問題であろう。だからこそ今、もう一度これを舞台化して、今の時代にぶつけてくることに大きな意味を感じる。ここに流れる80年代の感触を懐かしむのではなく、普遍的なもの、例えば、人の持つ圧倒的な孤独、それを噛みしめたい。4階の男が殺意を抱くのは、階下のピアノの音がうるさかったからではない。3階の少女と彼とをつなぐ絆ゆえだ。彼女を偽りの家族の団欒から解放するために殺す。

一言も言葉を発しない少女と、彼はピアノの音を通して心を通い合わせる。だから、彼は彼女を殺すことで自分自身を殺すことにもなる。たったひとりの部屋で息子と妻との3人の幸福を夢想する男と、家族3人の部屋で、たったひとりの不幸を夢想する少女の魂の交流こそが、この作品のテーマだ。

70年代に起きたピアノ殺人事件をモデルにしながら、大竹野はいつものように家族を失った男の狂気をそこに見る。それもこれも、もとを正せば自分が招いた悲劇だ。4階の一家が、なぜ壊れてしまったのかは、一切描かれない。それは、あらかじめ失われた家族の物語として、設定される。大竹野は、なぜ、には興味がない。今ある現実をどうするか、がテーマとなる。遡るのではなく、この先に向けて、ドラマは展開していくのだ。

ここに描かれた問題はやがて書かれる『密会』において、完成形を見る。安部公房の『赤い繭』の引用からスタートしたこの物語は、つげ義春の傑作『夜が摑む』からもらってきたタイトルを中心に据えることで、不安から狂気にいたる、とてもシンプルなドラマを現出させる。しかし、このテーマは永遠に古びることはない。それはいつの時代であろうとも、人の心を掴まえて離さないものだからだ。

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