
先週の猟奇的ピンクに続いて今週はプロトテアトルである。ここウイングフィールドで旅立ってきた2劇団が、ここに帰って来た。ウイングカップの最優秀劇団の記念碑的公演。前者(優秀賞だったみたい)は今回が解散公演で、後者は10周年。いずれも仕切り直してこの先に向かう為の大事な公演だ。だからここで作る。
12年続くウイングカップの後夜祭が3月30日にあり、その直前2週の芝居だ。1年の締めくくりとして最高の芝居だった。ちゃんと見れて良かった。ウイングカップの審査員をずっとしているが、劇団を長く続けるのは難しいと実感している。そんな状況下若手劇団を支援するウイングの変わらない姿勢、その援助を受けて成長していく(ますます芝居が好きになる)人たちを見守るのは楽しい。僕は芝居を見るのが好きだが、その理由はきっとそんなところにあるみたいだ。人と出会う。人が進歩していく。それを見る。それだけで元気になれる。
40年ずっと高校で教師をしてきたが、あの仕事が好きなのも同じ理由だった。子どもたちを見守る事。そしてほんの少し手を差し述べること。なんらかの方向性を指し示すこと。それだけ。頑張って、と応援するだけでもいい。そんなふうにいつも思っている。特にクラブ活動が好きだった。授業よりも。例えば生徒が勝ちたいと言うなら勝たせる。近畿大会に出たいと言うなら、ちゃんと連れて行く。(ダメな時もあったけど。それと、誰もインターハイに出たいとは言わなかったからそこはよかった。さすがに僕ではそれは無理だし)約束は叶えたい。ずっとそうしてきた。
余談ばかりが続いてしまい恐縮だけど、そんなことをなんとなく思ってしまった。それくらいにこれが素敵な芝居だったのだ。完成度が高いのではない。方向性が明確で自分たちのやり方、やりたいことをしっかり追求しているからだ。とても小さな芝居である。小劇場演劇にふさわしい。役者はたったふたりだけ。ひとりは作、演出を兼ねるFOペレイラ宏一朗と豊島祐貴のふたりだけ。本当なら3人で演じるはずだったが、小島翔太が病気で降板することになり、たった1週間で作り変えたらしい。不在の彼の芝居をふたりがカバーして公演を実現した。
4本の短編集だ。これまでのプロトテアトルの短編からセレクトして3本。そして今回書き下ろした新作1本。それを2番組にして公演した。作品はAプロと続けてBプロを見ることで完結する。別々の4本がセットで1本の作品を構成する。不思議だけど納得する芝居だった。
最初の『オルタ面接』は、豊島の一人芝居。だけど面接官とのやりとりが描かれていく。しかも面接官と面接を受ける自分が何度となく反転していく。だが一人で二人を演じるのではない。向き合っている面接官は声だけで存在している。だが、明らかに声は面接官なのに、いきなり否定されていく。この実験的な芝居がまずウォーミングアップのように提示される。さらに2本目。『エウレカ2020 ver. 作品解説とif』はさらに実験的な試みだ。コロナ禍の2020年に上演した3人芝居(だから女の子たちはフェイスシールドを着けて演じている)の再演のはずだったが、役者が一人いないから、当時の映像を見ながら、今回するはずだった芝居を考察するという芝居になった。なんだか訳がわからんような試み。しかも女の子たちの話なのに今回は3人の男たちで演じるはずだった。残された2人がホリゾントに投影された2020年の芝居を見ながらそれを解説をする。さらに後半では映像の前で同時に演じていく。ホリの前で、ふたりだけで。内容より方法ばかりが突出して斬新な芝居というより大胆すぎて唖然とする芝居。仕方なくこういうことにしたのだろうが、なんだか不思議な芝居で凄い。
この2本がセットのAプロの後、一転してBプロはしっかり芝居。ふたり芝居の2本立て。どちらも不在の存在を描く。たまたまだったが、それが今回不在になった小島を思わせた。『白露。降る』は火事で家族を失った男のもとに死んだ兄がやってくる話。毎年お盆に兄は来る。これで10年。だけどたぶんこれが最後になる。そんな時間が描かれる正統派演劇。(死んだ兄を木島が演じるはずだった)
最後の『ハイランダー』はなんと22人をふたりだけで演じる。(ほんとなら3人で30人くらいを演じるはずだったらしい)死者がここに来て立ち止まる。さまざまな人たちが通り過ぎていく。それを次々と衣装を取っ替え引っ替えして見せていく。なのに慌ただしくはない静かな芝居になっている。
死者たちの旅立っていく時間が描かれる。ここはその途上の休憩場所。向こうから来て、あっちへ行くまで。一瞬立ち止まって、すぐに次に進む。この先に何があるのかはわからない。だけど先にあるどこかに向かっていく。なんだかいろんなことを象徴する芝居だ。ラストはここに3人が座って休憩するシーンで幕を閉じる。演じるふたりの間はもちろん空白だ。だがそこには確かにもうひとりがいる。