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映画・演劇のレビュー

『ロストケア』

2023-03-27 11:31:00 | 映画

殺すことで救われる命がある。法律が犯す殺人と人間が守る殺人。どちらも正義だから、という結論は甘いか、正しいか。生まれてきてくれてありがとう、という父親の言葉が胸に沁みる。殺して欲しいと願うことも。検事、長澤まさみ。殺人犯、松山ケンイチ。ふたりが向き合う正義をめぐる物語。介護士が42人の老人を殺した。彼はなぜそんなことをしたのか。自分がしたのは「殺人」ではなく「救い」であると主張する。そして、親を殺された遺族は彼に感謝する。そんなバカな話、と言い切れない現実がある。もちろん殺された遺族には「父を返せ!」と激昂する女性もいる。(当然だろう)ただここで描かれる介護の現場の悲惨さは、特別なものではなく、どこにでもある現実の一コマだろう。映画は前半で介護士が訪問看護する現場を丁寧に綴っていく。松山演じる介護士の仕事ぶりが描かれる。そこまでするのか、と思うくらいに丁寧。でも、現実でもこんな人たちに介護の現場は支えられているのだろう。

とても素晴らしい映画だった。もっと検事VS殺人犯の対決を描くサスペンスか、と思っていたたら、そうではなかった。もちろん主人公の長澤まさみと松山ケンイチの対決は描かれるのだが、映画はそこだけではない。それどころか、そこは映画に切り口でしかない。この社会が抱える闇を描く。社会的弱者が生きるためにどういう選択が必要になるのか。刑務所に入れて欲しいという老人が出てくる。(原田ひ香はドラマにもなった『一橋桐子の犯罪日記』でそれをコメディタッチに描いた)そこまで追い詰められた人が多数いるという現実が背景にはある。これがエンタメなら快楽殺人へとミスリードしていくという作り方だってできただろうが、これはそんな映画ではなかった。(原作を読んでないから、詳しいストーリーは知らないで見た)正攻法で堂々と殺人を犯すことを「救い」として描いていく。

母の介護をしながら、過ごした時間が甦る。7年間、だった。もっとできたかもしれない。でも、あれ以上したら自分が壊れてしまうかもしれない。母が倒れた朝のことが、何度となくよみがえる。この映画を見ながらも、あの日を思い描いていた。ちゃんと意識のある母親と接した最後の日だ。この映画を見ながら、もし自分がここまで追い詰められたらどうなっただろうか、と思う。僕はこの映画の人たちほど大変な状態ではなかったが、それでも仕事をしながら一人暮らしの母親の世話をする日々はそれなりに大変だった。もし、認知症がさらにエスカレートして、徘徊もひどくなり、世話ができない状態になっていたならどうだっただろうかと思う。さらには寝たきりになっていたら、どうだっただろうか、とも。想像したくない。たぶん無理。下の世話はするレベルにはいかなかったし、その前に倒れて入院した(もし、退院できていたら寝たきりだったはず)けど、いろんな意味で悔恨の想いが残された。今も頻繁に思い出す。もっとできたかもしれないが、限界までいくと憎むかもしれない。

長澤が松山の暮らしていた部屋を見に行くところがラストか、と思ったがその後、長澤の告白、松山の父親を見送るシーンが続く。あれを蛇足だと言う人もいるだろうが、しっかりそこまで見せてくれてよかった。ふたりがそれぞれ自分の父親の最期を看取った瞬間を映画はきちんと見せる。
 
原作のタイトルは『ロスト・ケア』だが、映画はなんと『ロストケア』だ。そこに込められた監督の意図がこの映画の確かな方向性を示す。この世界はもうそこまで行きついている。この先、どうなるのか。そして、近い将来自分もまた介護される立場になるだろうが、その時自分に何ができるのか。

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