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映画・演劇のレビュー

A級Missinglink『悲惨な戦争』

2012-03-08 20:01:38 | 演劇
今この79年に書かれた戯曲を上演する上で土橋さんのとったアプローチはきっと正しいはずだ。2012年という時間のなかで、ここに描かれた「戦争」は明らかに3・11を想起させる。突然襲いかかってきた不条理と向き合う家族の姿を通してさまざまなことが考えられる。3・11に焦点を絞り込むのではなく「見えない敵」という普遍性の中にこの作品の本来の意図はあったはずだが、敢えてポイントをそこに絞ることで、後半の大惨事がリアルなものとして迫ってくる。

 どこから攻撃してくるのかわからない敵。ご近所さんとの戦争のはずなのだが、なぜこんなことが起きるのか、わからないまま、話は展開していく。でも、前半は冗談のような余裕がある。1週間も仕事を休んで臨戦状態に備えている父親。ここには子供はいない。妻と、年老いた父親との3人家族だ。どうしてこのなんとも不思議な家族構成を設定したのだろうか。そこに、11pm(懐かしい! 今の若い人には、この胡散臭さはわからないだろう)のスタッフが取材でやってくる。彼はもっと凄まじい戦場を期待してきたようだが、肩透かしを食う。これではTVでオンエア出来ないと言われた家族は、自分たちの惨状を必死に訴えかけるが、相手にされない。夫の会社の課長と、彼が浮気をしている女子社員アケミも尋ねてくる。それに彼が捕まえた捕虜(本人はこの戦争には関わりがないというのだが)が絡んできて、芝居は展開する。この7人が登場人物のすべてだ。だから、敵はここには登場しない。

 見えない敵は最後まで明らかにされない。ほんのちょっと家から出ただけで攻撃してくるから、彼らは家に閉じ込められたままになる。どうしようもない。冗談のような芝居だったのが徐々にシリアスになる。後半、激しい戦闘が繰り広げられ、どんどん死者が出る。冗談ではなく、悲惨な状況になる。天井が落ちてきて、瓦礫が降る。(今回の舞台美術は本格的で、家が破壊されていく過程はちょっとしたスペクタクルだ)この突然の出来事の中で、彼らに何が出来るのか。無力だ。なぜ、死ななければならないのか。わからない。正面から攻撃してくるのに、敵は見えないままだ。弾に当たってどんどん死んでいく。

 赤と白の対比で描かれる自分たちと敵。赤は血の色で、最初の死者となるアケミは、血まみれの頭に巻いた包帯が血に染まるのを喜ぶ。自分も赤組のメンバーになれたからだ。それにしても、傷ついた無力な人たちを通して何を描こうとしたのか。わからないままだ。

 ラストシーンは、瓦礫の中、この廃墟と化した街を歩く防護服の男の姿を捉える。現代と30年前(この芝居が書かれた時間だ)とを、どうつないでいくのか。

 みんな死んでしまった後、唯一生き残った捕虜の男は鎖につながれたままだ。彼が死ななかったのは捕虜だからではない。ただの偶然だろう。原作ではこの鎖は最後までとれないままらしいが、今回の芝居では外れる。鎖をはずした後、彼は防護服に着替えて、この家を出て行く。それまで彼はこのドラマの内側の存在だったはずなのに、そのことで外側の存在となり、被災地にやってきた同じように防護服をかぶった男と混ざる。内と外の区分なんて曖昧なものだ。どちらがどちらかなんて明確な区別はない。

 何が起こっているのか、わからないし、どちらが当事者で、どちらが外部の存在なのかはわからない。気づけば自分も当事者の側にある。だいたい最初に死んでいくのは家族ではなく訪問者の方なのだから。なぜ、なんのために戦うのか。まるでわからないまま、芝居は終わる。ただ、そこにある恐怖は心にしっかりと残る。それだけで十分なのだ。この79年に書かれた芝居は確かに今ではもう古い。だが、この古さが、落ち着いたタッチで綴られる土橋演出によって、とても新鮮なものとなってよみがえったのも事実であろう。


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