今年一番衝撃的な映画は瀬々敬久監督の『明日の食卓』だった。あの映画の原作は椰月美智子の同名小説だ。今回の新刊もあの小説と同じパターンになっている。3人のお話が同時進行していく。彼らの家族のお話が描かれる。全く別々のお話ではない。彼らの家にいる子供たちが同じクラスだ。3つの家庭のそれぞれの状況が主夫である3人の視点から描かれていく。そうなのだ。主人公の3人は主夫として家庭を守っている。同じようにふたりの子供を持つ。妻は一家の大黒柱(!)として君臨する。だがそれはこの世界において特異なケースではない。
この小説が描くのは男女の役割が反転した世界だ。男が女に尽くす世界。男尊女卑ではなく女尊男卑の世界だ。読みながら、男と書かれてあるところを女に、女と書かれてあるところを男に読み替えると我々が生きてきた世界になる。そんな面倒な読みが必要になるのだけど、ここに描かれる違和感はきっと女性たちが今までずっと感じてきた現実なのだ。男である僕たちはこの小説を読みながら、違和感を抱くという次元ですでにこの世界に毒されていることに気づく。
この徹底ぶりは見事だ。これは単純な風刺ではない。徹底的な意思表明だ。この世界を変えなくてはこの先には進めない。男女同権だとか言っている時点で男尊女卑は明白だろう。女性による男性へのセクハラが描かれる。その不快感たるや。でも、そんなことを女たちはずっとこれまで男たちから受けてきた。何を今更。被害者と加害者の関係や、男同士(それは女同士の場合も同じ)の関係も含めて、この世界の日常の異常さが、この反転した世界から浮き彫りにされる。
女子中学生がレイプされるシーンから始まり、最後は冒頭の事件の結末が明確にされる。こうくるか、と感心させられた。このプロローグとエピローグの間に描かれるお話の中心に少年がレイプされる事件がある。それがこの小説の核心に据えられる。被害にあった彼が告発することで、悲惨な暴行事件を乗り越えていくお話となる。彼が泣き寝入りするのではなく、勇気を出して犯人を告発することが突破口となる。悲惨な出来事を繰り返さないために、何が必要なのかを提示する。あきらめることなく、流されることなく、正しいと思うことを、ひとりひとりが逃げることなく、ぶつけるしかない。そんな勇気を教えてくれる。