
54歳の女性が自ら高齢者用住宅(それって昔の老人ホームだ!)に入って、生活する。彼女は ここにはいない架空の妹といつも話している。でも、ボケているわけではないらしい。他人が来たら、妹はそこにいても影を潜める。ただもう未来に向けて生きる希望がない。だから、老人が入るようなこの場所で暮らしているのだ。
彼女をめぐるホームの住人たち。彼女の家族。今では行方不明の妹。(カナダで暮らす彼女の話も挟まれる)いくつもの人たちのいくつもの日々の生活。彼女の話とともに、同じようにそんな人たち(彼女の周囲の人たち)の断片も描かれる。それらはこの小説の中では等価なものだ。短い話が切れ切れに描かれ、それがやがてひとつになる。でも、パズルのピースが揃っても一つの絵ができるわけではない。主人公の雛子は孤独なままだし、このドラマのたくさんの登場人物のドラマもばらばらなままだ。カナダにいる妹とは会えないし、会う気もない。おせっかいな隣の男が消息を辿ろうとするが、彼女は拒否する。会いたいわけではない。妹はいつもそこにいる。20歳くらいのままで、彼女に寄り添うようにしてそこにいるのだから。
ここには特別な何かがあるわけではない。何事も起こらない。見事なくらいに事件はない。穏やかな日常だけがそこにはある。ひとりで生きるということの痛みと、それを何も考えず受け入れること。少し悲しくて、なんだか幸せ。そんな彼女の今がここにはある。
彼女をめぐるホームの住人たち。彼女の家族。今では行方不明の妹。(カナダで暮らす彼女の話も挟まれる)いくつもの人たちのいくつもの日々の生活。彼女の話とともに、同じようにそんな人たち(彼女の周囲の人たち)の断片も描かれる。それらはこの小説の中では等価なものだ。短い話が切れ切れに描かれ、それがやがてひとつになる。でも、パズルのピースが揃っても一つの絵ができるわけではない。主人公の雛子は孤独なままだし、このドラマのたくさんの登場人物のドラマもばらばらなままだ。カナダにいる妹とは会えないし、会う気もない。おせっかいな隣の男が消息を辿ろうとするが、彼女は拒否する。会いたいわけではない。妹はいつもそこにいる。20歳くらいのままで、彼女に寄り添うようにしてそこにいるのだから。
ここには特別な何かがあるわけではない。何事も起こらない。見事なくらいに事件はない。穏やかな日常だけがそこにはある。ひとりで生きるということの痛みと、それを何も考えず受け入れること。少し悲しくて、なんだか幸せ。そんな彼女の今がここにはある。