なんとも不思議な映画である。『私の20世紀』でデビューしたイルディコー・エニェディ監督による18年ぶりの待望の新作(ようやくの第2作だ!)は、同じ時に同じ夢を見る男女の恋愛物語。夢の中でつがいの鹿となって交流するふたりの男と女。静かな映画だ。ほとんど会話もない。音楽もほとんどない。ふつうに会話はあるし、話もあるけど、それ以外は無音に近い状態で2時間は終始する。
ふたりが初めて体を合わせるクライマックスも(一応はセックスシーンなのですが)無音。喘ぎ声とかも、ないし。しないし。そしてラストはまさかのハッピーエンドなのだけど、なんだかへんな気分にさせられる。明るすぎる朝の食卓の風景がそれまでのお話の流れにそぐわない。
映画はブダペスト郊外の食肉処理場が舞台だ。そこで代理職員として働くことになった女と、片手が不自由な上司の男が主人公。彼女は、極度の人間恐怖症。人と接触することすら怖いので、人とまともに接することも、話すこともできない。当然職場になじめない。男は動かない片手のせいもあり、もう誰とも付き合えないと諦めていた。だけど、彼女が気になる。その気持ちは抑えきれない。なんでそうなるのかはわからない。モーションをかけるのだけど、うまく付き合えない。うまく噛み合うわけもない。しょぼくれた中年男と潔癖症の女。不器用な二人の恋物語。(のはずなのだが。)
夢のシーンでも、ふたりはそっけない。どうして同じ夢を見るのか。何度となく繰り返される。自然の中にいる鹿の姿にはドラマはない。でも、この夢を彼らは見ている。彼らの不器用な恋と同じで、なんの進展もない。
いや、現実の方はそれなりの進展はある。でも、だからどうした、と思うくらいにそっけない。でも、そこがなんだかすごく面白いのだ。昔のアキ・カウリスマキの映画のような変さ。狙っているな、というようなあざとさとは無縁だ。この不思議な世界で、(でも、ただの日常描写なのだが)ただただ彼らの姿を見ているだけでいい。僕はこういう映画が好き。