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映画・演劇のレビュー

EMOTION  FACTORY 『蜘蛛のおうち』

2010-05-10 20:45:32 | 演劇
 これはちょっと大胆に言うと、『サザエさん』のリアル・シリアス・バージョンだ。今もわずかにだが残っていたかつての日本の大家族が、崩壊していく最後の瞬間を、とある家を舞台にして描いていく。縁側があり、近所の人たちが自由にそこにやってきて、特別な用もないのにお茶すすりながら世間話をしていく。中庭には古い井戸があり、その向かいには離れがある。ここは典型的な昔の古い家だ。

 井戸水は、今も汲み出すことが出来る。おじいちゃんはここの水を使う。その井戸にはなぜかいつも大きな蜘蛛がいて、蜘蛛の巣を張っている。払っても払ってもすぐにまた巣を張る。この蜘蛛はこの家の守り神だ。

 祖父と両親、2人の子供たち。なんとか3世代がそろっているが、祖父の死により、ただそれだけで、どこにでもある核家族になってしまう。さらには母も死に、家族はひとりひとりになってしまう。わずかに入り婿として、後からこの家に入ってきたはずの父が、この古い家をたったひとりで守ることとなる。妻を失いほんとうならここにいる必要性はないはずなのだが、彼はだれもいなくなって初めてここで暮らすことの意味を知る。だから妻に代わってこの家を守る。

 芝居全体の主人公は、この家を守り、すべてを抱え込んでいた妻(西宮久美子)である。彼女と、井戸に棲む蜘蛛(鶴留真由)との交感がベースとなり、彼女たちがここで暮らす日々が描かれていく。2人は(人間と蜘蛛だが)お互いに言葉を交わすわけでもない。ただひっそりと同じようにここで棲む。それだけだ。やがて、妻は心の病となり、静かに死んでいく。蜘蛛は彼女を井戸の底に導いていく。

 今、『家族というもの』の置かれている現状をしっかり見つめた上で、それが何故壊れていくこととなったのかを、静かに描いていくこの芝居は極めて現代的な素材だ。サザエさん一家はもうこの国にはない。なのに幻のサザエさん一家は、誰からも何の疑問を抱かれることもなく、今も放送されている。そこにあるのはノスタルジアではない。我々の心の中には今もリアルタイムでサザエさん一家が棲んでいるからだ。この芝居の夫の中では、この家は残る。死んでしまった妻が守り続けたこの家と家族というものがもう既に崩壊してしまった後にも関わらずそれがはっきりと残り続けているように。演出の猪岡さんが自らこの夫役を引き受けた意味はそこにある。自分が支えることで、この「蜘蛛のお家」は残り続ける。この芝居のテーマももちろんそこにある。

 近所の米屋夫婦を一快元気と朧ギンガが演じている。彼らのいかにも『ご近所さん』という芝居はこの作品の見事な彩りとなっている。



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