短編連作のスタイルを成しているようだが、これは長編小説だろう。9編の短編は完全につながる。生まれた家を処分するために帰省した65歳の女性がたったひとりで過ごす故郷での日々のスケッチだ。
もう誰も住まない古い大きな家。そこで、家の整理をしながら過ごす日々。都会からこの村に戻ってきて、高原で過ごす孤独な時間。彼女はすぐに夢を見る。現実と妄想の境目もやがては曖昧なものとなる。時間に沿って話は進む。各エピソードは彼女の妄想世界と区別がつかないくらいに混沌としている。
彼女の心の中を去来するものは、単純な思い出ではない。犬のフジ子と一緒に過ごす静かな時間のなかで、彼女は過ぎ去った日々の想い出の中にしかもう存在しない人たちと出会う。生きている人ともう死んでしまった人とが等価な存在として、夢と現実のあわいのような時間の中でやってくる。
彼女はこの高原の我が家を売りに出す。もう誰も住まないこの家を維持しておくことは出来ないからだ。様々なものを処分しながら、そこに秘められた思いも整理することになる。それは自分がやがて死んでいくための準備というわけではない。これは、今、自分が出来ることをきちんとするという前向きな行動だ。幻想的な風景の中で、前進していくための一歩を踏み出す笑子さんのドラマは読み手である僕たちに勇気を与えてくれる。
もう誰も住まない古い大きな家。そこで、家の整理をしながら過ごす日々。都会からこの村に戻ってきて、高原で過ごす孤独な時間。彼女はすぐに夢を見る。現実と妄想の境目もやがては曖昧なものとなる。時間に沿って話は進む。各エピソードは彼女の妄想世界と区別がつかないくらいに混沌としている。
彼女の心の中を去来するものは、単純な思い出ではない。犬のフジ子と一緒に過ごす静かな時間のなかで、彼女は過ぎ去った日々の想い出の中にしかもう存在しない人たちと出会う。生きている人ともう死んでしまった人とが等価な存在として、夢と現実のあわいのような時間の中でやってくる。
彼女はこの高原の我が家を売りに出す。もう誰も住まないこの家を維持しておくことは出来ないからだ。様々なものを処分しながら、そこに秘められた思いも整理することになる。それは自分がやがて死んでいくための準備というわけではない。これは、今、自分が出来ることをきちんとするという前向きな行動だ。幻想的な風景の中で、前進していくための一歩を踏み出す笑子さんのドラマは読み手である僕たちに勇気を与えてくれる。