初めてテノヒラサイズを見たのはこの作品だ。それまで、気にはなっていたけど、自分から見ようとはしなかった。いつものことだ。でも、制作の鉾木さんに誘われて見て、あまりの素晴らしさに衝撃を受ける。予想した通りの作品なのに、凄い、というのは、あまりないことだ。
もちろん、僕が見ていない作品に素晴らしいものがたくさんあるなんていうことは、わかっている。東京の劇団はほとんど見ないし、大阪の劇団でも今は誘われなければ見ていない。チラシを見たらこれはきっと凄いだろう、とわかる劇団はたくさんある。でも、それでも、わざわざ行かない。映画を見たり、本を読んだり、仕事もしたりで、毎日忙しいからだ。そして、もちろん、僕に見てもらいたい、なんて奇特なことを言ってくれる劇団がたくさんあるからだ。だから、それを見るだけで時間はいっぱいになる。
それでも、である。いまだ目撃していない凄い芝居があるのなら、見れたならそれに越したことはない。偶然見て、それからはずっとテノヒラサイズは信じれる。オカモトさんの描く世界は確かだ。そう確信してきたが、昨年の僕のベストプレイ作品のひとつである『老人と怪物』を見て、こんなにも新鮮な感動を、またもやテノヒラサイズが僕に与えてくれたことに感動した。(感動の二乗ね。)
さて、再び、『人生大車輪』である。もうこの古典的作品に驚くことはないだろうと思い、安心させられるために劇場に向かう。このコストパフォーマンスがテノヒラサイズの原点だ。描きたいことがあるのではない。まず、描きたい方法があるのだ。その方法でどう描くのかが彼のやり方だ。その逆転の発想がおもしろい。つなぎと、パイプ椅子。それだけで芝居は出来る。しかも、上質で豊かな芝居だ。貧乏くさい芝居にはならない。台本のおもしろさと、表現方法の大胆さ。それが、彼らの持ち味だ。個性豊かな役者たちによるアンサンブルプレー。それは、スクエアやMONOも同じで、チームで芝居を作るというのは芝居の原点だ。だが、テノヒラサイズはそこにとどまらない。そのスタイルなのだ。それが前述のつなぎの衣装と、パイプ椅子という小道具だ。それは作品の縛りではない。それが作品の武器となる。
今回の何度目かの再演は、改めて彼らの原点を提示する。ここから始まり、ここで終わる。だが、ここは無限に続く鉱脈だ。改めてこれは傑作であるという自明のことを再認識させられた。とてもよく出来ている。僕がここで内容についてどうこう言うことはもうない。 見逃すな。(あ、もう終わっている・・・)