1時間20分という上演時間は昨年と同じだ。唐十郎は無理することなく、今自分に心地の良い尺数の芝居を作る。昨年はそのあまりの短さに驚いてしまったが、今回は納得した。彼ははっきりとシフトチェンジしている。もちろん最初に上演時間を決めてから芝居を書き始めたわけではあるまい。そうではなく、今の彼にとってこの軽さが自分の生理にぴたりと合うということなのだろう。粘っこくて、しつこかった彼があっさりして、さっくりした芝居を作る。見ていてそのあまりの口当たりのよさに爽快な気分にさせられる。
話自体はいつも同じだ。こんなにも毎回同じスタイルで芝居を作り続けているのに、マンネリ化しない、ということも驚きだ。ルーティンワークではない。同じことなのにとても新鮮であるところに彼の凄さがある。もちろん今更僕なんかが演劇界の大巨匠である唐さんのことを褒め称えてもなんの意味もない。だが、年をとって小さくなってしまったのに、枯れることなくいつもチャーミングな唐十郎さんは本当にすてきだ。彼が舞台に出てくるだけで幸せな気分になれる。そんな役者は彼以外にいるだろうか。しかも今回は、けっこう出番も多く、いつもの田口役もうれしい。
作家として画期的なドラマを提示するわけではなく、そういう意味ではこれはルーティーンワークかもしれない。ここで生きている人たちの日常に侵食していく「なにものか」たち。彼らによってここではないどこかに誘われていく。軍艦島の坑道に入っていく。トロッコに乗って黒手帳を手にして。それは視覚的スペクタクルとしてではなく、小さなイメージとして示される。例によって水槽が出てきてそこに入るシーンもある。スペクタクル以上のカタルシスがここにはある。かっての唐十郎の芝居をここに求めると不満が残るだろうが、これはこれで意味がある作品だと思う。少なくともここには唐十郎の今がある。
話自体はいつも同じだ。こんなにも毎回同じスタイルで芝居を作り続けているのに、マンネリ化しない、ということも驚きだ。ルーティンワークではない。同じことなのにとても新鮮であるところに彼の凄さがある。もちろん今更僕なんかが演劇界の大巨匠である唐さんのことを褒め称えてもなんの意味もない。だが、年をとって小さくなってしまったのに、枯れることなくいつもチャーミングな唐十郎さんは本当にすてきだ。彼が舞台に出てくるだけで幸せな気分になれる。そんな役者は彼以外にいるだろうか。しかも今回は、けっこう出番も多く、いつもの田口役もうれしい。
作家として画期的なドラマを提示するわけではなく、そういう意味ではこれはルーティーンワークかもしれない。ここで生きている人たちの日常に侵食していく「なにものか」たち。彼らによってここではないどこかに誘われていく。軍艦島の坑道に入っていく。トロッコに乗って黒手帳を手にして。それは視覚的スペクタクルとしてではなく、小さなイメージとして示される。例によって水槽が出てきてそこに入るシーンもある。スペクタクル以上のカタルシスがここにはある。かっての唐十郎の芝居をここに求めると不満が残るだろうが、これはこれで意味がある作品だと思う。少なくともここには唐十郎の今がある。