
竹内銃一郎さんによる『夏の夜の夢』である。彼がこのシエイクスピア作品をどう料理するのか、興味深々で劇場に向かう。正直言うと、僕はこの話があまり好きではない。でも、竹内さんの見せ方が気になるから、とても楽しみだった。
とてもたわいもない笑劇として、この作品をとらえる。2組の男女を中心にした恋の駆け引き。そこにいろんな人たちが入り乱れて、しまいには何が何だか分からなくなる。オリジナル自体も、惚れ薬によって起こるドタバタ騒ぎを描くコメディーなのだが、彼らの気持ちが入り乱れていくことだけではなく、配役までもが入れ替わっていき、誰が誰だかわからなくなってしまう。しかも、同一人物が舞台上に2人出てきたり、それが複数だったり、もう何が何だかわからない。
「劇の中の劇の中の劇の中の劇。楽しい、怖い、下らない。」作者はそんな混乱を楽しんでいる。もともとこれは原作自体がたわいもない話なのだ。そのことをさらに強調するような作劇を通して、恋という祝祭を夏の夜の夢として客観化して見せる。ドライの役者たちはいつものように不器用だ。竹内さんはもともと彼らに器用な上手い芝居なんか求めていない。それよりも、まじめに自分の役割を全うさせることを求める。
保さんと武田操美というとても器用なベテラン役者2人を軸に据えたのも、彼らに作品全体をリードしてもらうためではない。それどころか今回彼らに求めたのは、わざとそっけない素の芝居だ。そうすることで、この作品の虚構を際立たせる。彼らは役になりきるどころか、役を投げている。自分のテリトリーで安易に芝居を流していく。それは手を抜いているのではなく、そういう芝居を要求されたからだ。この作品のバカバカしさを通してそのバカバカしさを超越するものをここに提示するためだ。それは、恋とはなんて愚かなものなのだ、ということだ。だが、その恋というなんとも愚かな行為が、それゆえになんと素敵なことなのか、と思わせるところにこの作品の意味がある。
とてもたわいもない笑劇として、この作品をとらえる。2組の男女を中心にした恋の駆け引き。そこにいろんな人たちが入り乱れて、しまいには何が何だか分からなくなる。オリジナル自体も、惚れ薬によって起こるドタバタ騒ぎを描くコメディーなのだが、彼らの気持ちが入り乱れていくことだけではなく、配役までもが入れ替わっていき、誰が誰だかわからなくなってしまう。しかも、同一人物が舞台上に2人出てきたり、それが複数だったり、もう何が何だかわからない。
「劇の中の劇の中の劇の中の劇。楽しい、怖い、下らない。」作者はそんな混乱を楽しんでいる。もともとこれは原作自体がたわいもない話なのだ。そのことをさらに強調するような作劇を通して、恋という祝祭を夏の夜の夢として客観化して見せる。ドライの役者たちはいつものように不器用だ。竹内さんはもともと彼らに器用な上手い芝居なんか求めていない。それよりも、まじめに自分の役割を全うさせることを求める。
保さんと武田操美というとても器用なベテラン役者2人を軸に据えたのも、彼らに作品全体をリードしてもらうためではない。それどころか今回彼らに求めたのは、わざとそっけない素の芝居だ。そうすることで、この作品の虚構を際立たせる。彼らは役になりきるどころか、役を投げている。自分のテリトリーで安易に芝居を流していく。それは手を抜いているのではなく、そういう芝居を要求されたからだ。この作品のバカバカしさを通してそのバカバカしさを超越するものをここに提示するためだ。それは、恋とはなんて愚かなものなのだ、ということだ。だが、その恋というなんとも愚かな行為が、それゆえになんと素敵なことなのか、と思わせるところにこの作品の意味がある。