
中島陸郎さんの没後10年をしのんで企画された今回の精華演劇祭の作品の中でも一際異彩を放つのがこの作品であろう。とても芝居のタイトルとは思えないこのタイトルに込められた想いがこの作品の要だ。
4人の劇作家(樋口美友喜、深津篤史、棚瀬美幸、内藤裕敬)が中島さんを題材にして短編を書下ろし、それを、遊劇体のキタモトマサヤさんが再構成し演出した。4人のそれぞれの個性が良く出た作品になっている。それをきちんと生かして全体をキタモト流に見事に再構築する。中島さんへのそれぞれの思いを込められた作品は、ただ単なる中島さんへの追悼になんかならない。これは中島さんへの挑戦である。中島さんという偉大なプロデュサーへのオマージュを演劇として作品化する。自分たちに中にある中島さんとの思い出を描くのではない。これは中島的なものを演劇化する試みなのだ。
舞台は、鉄パイプで組まれたジャングルジム。四方囲み舞台。そこに42人に及ぶ役者が登場する。4作とも中島さん、という名前は一切出てこない。主人公たちは中島さんの分身にも見えるが、そうではないと言ってもいい。独立した作品としては仕上がりは微妙だ。だが、これはあくまでも中島さんあっての企画で、なによりもそのことを優先する。そんなあまりわかりやすいものではないところも大切にした。
第1話は樋口さんらしい作品だ。100匹の群れから迷い出た1匹の羊を巡るお話。少女の素朴な疑問と、とことん向き合う。続く深津さんの第2話の「 」さんというのがおかしかった。その空白に入るのはもちろん『中島』であろうか。葬儀を通して不在の彼を描く。芝居は中島さんから遠いところから1作ごとに近付く。棚瀬さんの第3話は本来シンプルな対話劇なのだろうが、それがキタモトさんによりあんなスペクタクルになる。男と向き合う私は4組15名によって演じられる。そして内藤さんによる第4話はストレートで力強い。台風の中、彼に付いて行く若者たち。やがて去るものも出るが、気にしない。
ここにはメモ程度に簡単な印象を書いた。また後日、ゆっくりこの芝居については考えたい。
4人の劇作家(樋口美友喜、深津篤史、棚瀬美幸、内藤裕敬)が中島さんを題材にして短編を書下ろし、それを、遊劇体のキタモトマサヤさんが再構成し演出した。4人のそれぞれの個性が良く出た作品になっている。それをきちんと生かして全体をキタモト流に見事に再構築する。中島さんへのそれぞれの思いを込められた作品は、ただ単なる中島さんへの追悼になんかならない。これは中島さんへの挑戦である。中島さんという偉大なプロデュサーへのオマージュを演劇として作品化する。自分たちに中にある中島さんとの思い出を描くのではない。これは中島的なものを演劇化する試みなのだ。
舞台は、鉄パイプで組まれたジャングルジム。四方囲み舞台。そこに42人に及ぶ役者が登場する。4作とも中島さん、という名前は一切出てこない。主人公たちは中島さんの分身にも見えるが、そうではないと言ってもいい。独立した作品としては仕上がりは微妙だ。だが、これはあくまでも中島さんあっての企画で、なによりもそのことを優先する。そんなあまりわかりやすいものではないところも大切にした。
第1話は樋口さんらしい作品だ。100匹の群れから迷い出た1匹の羊を巡るお話。少女の素朴な疑問と、とことん向き合う。続く深津さんの第2話の「 」さんというのがおかしかった。その空白に入るのはもちろん『中島』であろうか。葬儀を通して不在の彼を描く。芝居は中島さんから遠いところから1作ごとに近付く。棚瀬さんの第3話は本来シンプルな対話劇なのだろうが、それがキタモトさんによりあんなスペクタクルになる。男と向き合う私は4組15名によって演じられる。そして内藤さんによる第4話はストレートで力強い。台風の中、彼に付いて行く若者たち。やがて去るものも出るが、気にしない。
ここにはメモ程度に簡単な印象を書いた。また後日、ゆっくりこの芝居については考えたい。
ネタバレを含む感想は
楽日が終わるまでは
避けて頂きたかったです…
いつも楽しく
読んでます。