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映画・演劇のレビュー

『わたしは最悪。』

2022-07-03 19:03:25 | 映画

映画のタイトルとしてこれはどうか、と思う。反語的意味でとらえるべきなのだけど、それは映画を見た後でなくてはわからない。でも、観客はこのタイトルでは見ない(見たい、と思わない)のではないか。というか、最悪なあんたの話なんか誰も見たいとは思わないはず。

この映画が、「序章、12章、終章」からの展開になるということを最初に提示して帰着点を明らかにするところから始めたのはなぜだろうか。彼女がどこに行きつくのかを、冷静に検証させるためであろうとも、別にそれを最初にいう必要はない、気がするけど。

プロローグは怒濤の展開で圧倒される。そこでは、医学部に在籍していたのに切り刻むことではなく心の問題と向き合いたいの、とせっかく入った医大を辞めて、心理学部に。でも、実はアートが自分の道だった、とまたまた進路変更してカメラを手にして写真家を目指す、という彼女のこれまでが一瞬で描かれる。そこから本編に突入。

漫画家の中年男と出会い、恋に落ちる。彼は自分の生き方を明確にし、邁進している。40代で、すでに作家として成功している。20代半ばで自分の道を迷走中の彼女は彼に心惹かれる。でも、彼は彼女をパートナーとしては認めるけど、彼女の人生をサポートするわけではない。いや、結婚して子供を産んで、幸せな家庭を築こうよと願う。でも、彼女の幸せはそんなところにはない。

これは遅れてきた自分探しのお話だ。なのに、いきなり「浮気」(なんと第2章だ!)の話になる。描くのはそんなつまらない恋愛だったのか?と驚く。 自分を束縛しない新しい彼氏との出会い。ということは、これは三角関係のラブストーリーなのか。というとそうでもない。あくまでもやはり彼女の生き方模索のお話なのだ。128分の映画は12章に向けてカウントダウンしていく。彼女の選択は? エピローグでしっかりと写真家として仕事をしている姿が描かれるから、ハッピーエンドだ、ろうか? 

自分でもわかっているのだろう。このままでは最悪だ、と。だから、もう必死でもがいている。そんな彼女の姿を映画は客観的に捉えて何の感想も述べない。作者から押し付けるものはない。監督のヨアキム・トリアーは最初から最後まで彼女を観察するだけ。なんのアドバイスも与えない。いいとか、わるいとか、そんなものはどうでもいい。このかなりわがままな女としっかり向き合い、ポンと突き放すように終わる。それなのになんだか清々しい。

途中、世界が止まるシーンがある。そこで彼女はどうするのかというと、彼氏のところに行きその胸に飛び込むのだが、この特別なシーンが映画のクライマックスでは当然ない。それどころか、こんなにも盛り上げといてポイントはそこにはないというのが、笑える。映画は夢と現実の落差を描くのだが、そこでだって何が正しくて何が間違いなのかなんてわからない。これは一見シリアスな映画なのだが、もしかしたらコメディかもしれない。そんななんとも不思議な映画なのだ。


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