休日は面会も多い。向かいのベッドが賑やかだ。 見に行くとカーテン一枚の仕切りのなかで昼食もとらず本を読んでいる。
「食べたくない、痛くてたべられない」 食事は残してあった。
「美味しくない 味がない 」
「あのひとは足、こっちの人は目。 でも痛いところがないからいい」
「ねえ、見るたび 痩せた?」
「ピンクの頬で元気そう、綺麗だよ… 」 あとが続かない。
「こんなに迷惑かけて、 お父さんにいいこども持った たくさん世話になったって 伝えるからね」 なに言うの よくなるんでしょ
きのうは弟も来て 母はちょっと痛いよと言いながらも上機嫌だった。ぱっと華やいだ雰囲気になった。 きょうはナーバスになっている。
それでも写真をたくさん持ってきたので いつもの明るさになる。 Mさんが裏側にたのしいコメントをつけていて、異国のあざやかな風景と幼子の表情が多いに慰めてくれている。つかの間、痛みもうすらぐようだ。
これが届いたころ随分見たはずだったが、初めてだと言う。それならそれで良かった。新鮮で楽しさも増すのだろう。
おなじ症状も家族に甘え、なれたところで過ごせば気がまぎれる。 喜びだって見つかる、そのほうが幸せなのかも知れない。うちなら融通がきく、嘘のような時間もあるのだから、昼食が2時でも3時でもかまわない。
治る、信じて入院した。 軽い鎮痛剤だけで施す術がない。本人以外が重大なことを決めていいのだろうか。 人格の否定 しかし、言えない。 おおらかだが、かなり繊細な病人の性格からして。 ここに来てますます鋭敏になっている。
ひとの生死を預かる重さ、厳しさにふるえる。 帰宅を勧めても納得できないままだ。
苦しい選択に堂々めぐりしている。 2006.3.18