想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

美しい「花」がある、、、

2008-11-02 21:10:57 | Weblog
  美しい「花」がある。
  花の「美しさ」という様なものはない。
  小林秀雄の言葉で、最もよく知られ取り上げられるものだ。

  昨日のバラ、美しいものは美しいとわたしは書いた。
  その美しさがどこから来るかということが問題である。
  わたしの頭の中にある思い込みとしての「美しい」であれば
  それは小林秀雄に「ないね」と言われるわけである。

  わたしは言葉がたりない文を書いただろうか。
  なんか気になって落ち着かないという感じがしていながら、
  他のことに時間を費やしていたのだが。
  補足、つづきとしたい。

  美しいものは美しい。それは変わりない。
  そこでその美しさは花のなかにある。花そのものをさしている。
  最初からそう言いたかったのだけれど、言いえていないのである。

  花から放たれるものを受け止め、記号としての「美しい」を使って
  言った。「記号として」の美しいという目線で、花を見たわけでは
  ないということだ。

  縁(えん)がない、そう思っていたときは、記号としての
  「ピンク」すなわち女性らしさをあてはめてピンクの花を
  考えていたわけだ。
  ところが実際にバラを目の前にしていたわたしは、頭の中
  ではなく、目の前の花と話をしている。
  花そのものにイカレてしまったのだ。そこに記号としての
  「美しさ」など介在しないし、思いもよらない。
  ピンクの花びらは花の存在そのものである。

  それはまた人にもいいえて、人の内がわから滲み出してくる
  ものしか、人をとらえることはできないと思ったのであった。
  人を作り、人と人を引き合わせ結び付けているものとは、
  バラの芳香や姿のように、思考を飛び越えて胸の奥深くへ
  すんなりと飛び込んでくる「あるもの」なのだ。
  そのことを、花をみているうちに、おなじことなのだと
  思い至ったのであった。

  バラに圧倒され、考え始めたのだった。

  そしていきついたのが、花のなかにタネがあり、人のなかに
  魂があり、それぞれが見えない「あるもの」をもっている。
  そのあるものが解き放たれたときに、美しいという言葉に結実
  するしかないような姿として現われるということだった。

コメント
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