想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

プルースト的な日々

2008-11-04 09:59:34 | 
    くんくん親分は、同じ道を毎朝歩きます。
    今日はちょっと遠出しませんか、おっかあ、とか言いません。

    リード(綱)を離すとかえって立ち止まって、どしたの? と
    振り向きます。
    森の中ではリードはほとんど使わないので、先へ先へと進んでいき
    行き過ぎて、おっかあが見えないと振り返り確認しに戻ってきます。



    リードされているのは、わたしの方であります。
    ふたつ名の「くんくん」はダテではないので、新旧の匂いを嗅ぎ分け
    変化を見逃さないのです。

    匂いの粒子が、彼にとってはまるで眼に見えるようなのでしょう。
    フェロモンばかりに過剰反応するおバカではないよ、って感じの歩き方。

    「実質性がないのに持続性がある忠実な味と匂いだけが
     人の魂のように長くとどまり」(プルースト「失われた時を求めて」)
    ゆうべ、森へ誰がやってきたかやあるいは近寄ろうとしているのは何ものかを
    探りながら、彼のデータは更新され、蓄積されていく。

    ただし人と違うのは、マドレーヌを紅茶に浸したりせずに、一口で
    パクリと飲みこむと、「追想の壮大な構造」に足をとられたりするより
    もう一つくれないか、という目線を送ることが大事なところだ。
    感傷はオイラの腹を満たさない。実質重視なんである。

    家に戻るとトースターから漂う香ばしい匂い‥
    クーンと可愛く鼻を鳴らしてみたりして‥ 
   「あんた、さっき食べたでしょ、お散歩行く前に食べてしまったでしょ!」
    実質性がないのに持続しているパンの匂い、オイラも知らず知らずに
    追想の罠にかかっていたのだった。

    クーンともいちど言ってみたいが‥感傷はおいらに似合わないので
    しばし昼寝して夢のなかで、食うことにする。
    (親分は寝てるのにむしゃむしゃしたり、足を蹴って走ったりよく夢を見る)
    追想もまたおいしい、しあわせなことよ。

    誰とどうやって食べたか、それは匂いの記憶を左右する。
    幸福の匂いをたくさん覚えているには、「境」みのえと訓むが、鼻のハタラキが大事。
    人の五官としての鼻が効かなくなったら、記憶の新たな蓄積や再生に支障をきたす。
    「オレって鼻効かないっすよ、味オンチなんすよ」なんて気軽にほざいて
    済ましているうちはいいが、鼻が効かないということはつまり深く考えることができなくなる。
    今そこにある危機がわかるのは、記憶がはたらくからであることを意外と忘れがちだ。

    眼だけで物事を見ているわけではない、それは親分もうさこも同じことなんだな。
    その点、親分が数段優れていることは確かで、彼のほうが神様に近いのである。
    あやかりたいので、寝ている親分にスリスリするのである。

    
コメント
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