想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

手づくりの縁台にて

2009-04-07 09:37:25 | Weblog

  「ああ、おまえは何をしてきたのだ‥‥と、
      吹きくる風がわたしに云う。」(帰郷by中原中也)

  友川かずきの歌声(CD:俺の内で鳴り止まない詩)で、朝っぱらから
  バシバシと耳に心に打ち付けられる言葉を聴いて気合い十分、
  (といきたいうさこなんだが‥)。

  ところで、作ってもらいやした! おいら専用の縁台。
  濡れ縁の幅だとケツがはみ出すのであるからして。
  おいらはちょっと油断するとおっこちてしまうんであるからして。
  シマコさんはチビだからちょうどいいんだろうけど。

  カメのお頭が作ってくれやした!
  なんのお礼もできませんので、おっかあによくハタラクように
  言っときやす、とかなんとか言ってるよな目線。
  勝手なもんだねえ。
  あたいが頼んであげたんだよ。
  シマコがチビなんじゃなくて、あんたがデカイんじゃないのー?

  ということで、庭仕事ができない雨や大風の日に作ってもらっちゃいました。
  通販やホームセンターでちょっとした家具などは安く手に入るので
  作るより安上がりなのですが、ここでは作ることに意義ありがキマリです。
  もちろんわたしは注文するだけなんですけど、作る過程を見ているのが
  楽しいのですね。
  カメだけではなく他の人も作りますね、でも下手くそですね(はっきり言います)
  下手か上手かは関係ありません、作るときの頭の中で起きていることがいいのです。
  何もしないでいるときの脳の動きはわずらわしいものですが、
  モノ作りに集中しているときの脳は指令に従って動くわけなので、気持ちが
  いいのです。いやいやながらやっていれば動きませんからこの気持ちよさは
  味わえませんよ、気持ちよければ出来もよくなりますね、おのずと。

  子どものときに工作の時間があまり好きではなかったのですが、この歳になって
  工作で遊ぶようになりました。絵を描くのがエラい苦手だったうさこは、写真を撮る
  のが好きなのだ、自分? と気がついて思いがけないことです。
  己を知るのは楽しいです。人まねや流されて漫然とやるのではないから。


       (親分の上に光が降っているわ~)

  ここでは時計がいらないので、焦る必要もないわけで、じっくりと作ることが
  できます。一つ一つ、好きなものを形にしていくのです。
  時間を気にせず、モノを作るという至福の時を過ごすといっても、
  けっこう実用的なモノ以外には手は出さないところが子どもと大人の違いです。
  無駄はないとよく言いますが、人間、驕ると無駄を無駄だと気づかなくなる
  らしい、カメの話を聞いていてそう思いました。

  ここで森を切り拓き始めた頃、調子にのった阿呆が山ツツジをほぼ伐って
  しまって。単純な話、誰も喜ばないことなのだったけど、その時はわかんない
  くらい夢中だったようで。チェーンソーを覚えたてで嬉しくて働き者になりきって
  しまっただけのことでした。
  山つつじはとても強く見事に復活してくれたのだけれど、ピンクの花盛りの頃には
  あの無駄な労働ごっこを思い出します。

  無駄ではないというのは何かを得るからで、物以外の何かであるのがいいですなあ。
  吹きくる風に問われる日々。
  驕る者久しからずの警句、この理はまことであるなあと縁台の端っこにて
  思ったりしながら。
  うとうとして、落っこちないよね、親分‥‥。  
  

コメント (2)
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