変な週末だった。
晴れのち曇り、そして雨。お天気通り、人模様もそんな感じであった。
上の写真は、晴れの一日の始まり。
この方は憂えないんである、いつだって。
空が乾いてきた。光も和らいでいる。

花の名前、何だろう。この周辺に一気に増えた。
庭の花壇に撒いたワイルドフラワーのせいだろうかと実は憂えている。
悔やんでいる。
悔やんでいる。
キレイねーなんて言うのは都会から「時々原っぱに来て」自然は
いいわ~環境は大事ね~とほざいているお気楽ちゃんである。
森の生態系を乱しているのは誰だ? あたいだよ!
途中の道ばたのあちこちにキレイな花が顔をみせてうさこは
からかわれているような気分である。
バカアホアンポンタン、バカアホアンポンタン、こう合唱しているのが
聴こえるようだ。どうなるんだろうなあ、来年もっと増えて群生するか?
共生という言葉、とてもむずかしいことだと思う。
共生という言葉、とてもむずかしいことだと思う。
「友愛」と掲げた方がゲキチンするのに三月とかからなかったのも無理ない。
よく考え深く考え、己の欲、ホシミはないかとかえりみて事に向かう、
そういうことを四六時中、心して生きるというなら別だが。
人模様がよくなかったのは、それぞれの胸中にある「私」から放たれる
毒が雨の湿気をさらに重くしたから。
人は環境次第で育つものだ。森の自然に溶け込んで天の理にかなうには
人の「我」は害悪でしかない。せっかくの環境があっても我の壁が妨げ
オレオレオレ、私私私では雨の潤いも光も魂には届かず。
我なんぞ、スズメバチも避けて通るくらいで何の益もなしだ。
カメは人の毒から離れたところでひとり、炭の火を起こしていた。
焼いてもらった山女魚を喰らって、うさこは怒りを鎮めたのであった。
追加写真

撮るより早く食べたい‥‥気持ちが手ぶれを招く‥。

いつもは肉を食べないうさこ、ソーセージを食べ、なんちゃってビールを
飲んだ(アルコールフリーのもの)。怒りに任せて食い気に走った気が
しないではない。せっかくの今年お初の山女魚に申し訳ない‥。
すごく美味しかった。カメは根気強くじっくりと焼いてくれるのである。
百メートルほど離れたところで別のチームが同じくたき火でイワナを
焼いていた。焼けた焼けたと早々に持って行くのを横目に見たが、
川魚の焼き方を知らん未熟者、焼けてはいても旨くはないぞ。
皮が香ばしくなるのが美味をひきたてる。それには根気がいるのさ。
炭火の前は熱いからな、なんでも同じこと、よく知って、よく耐えることさ。
食っただけのうさこがエラそうに言ってるが、本当である。