想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

午後4時半の月

2010-11-15 17:30:00 | 


愛娘にぞっこんのT君が「○子ちゃんオススメのお汁粉、うまいんです!
ほんと!」とリキ入れて言うので、ではでは、と作ってもらいました。
作ったのは○子ちゃんじゃなくて、すっかりパパになっちまってるT君
なんだけど‥。

あっさりとほどよい甘さで小さなお餅がオサレなお汁粉。
みんなでいただいて、しず~かに。日暮れ近くなってるこの時間に
ちょうどよい温かさで小腹にしみわたりました。
ま、いい感じね、とかそこそこ褒めて(ほんとはとても美味しかった)
箸を置くと、カメがカメラを取り上げてパチリ。
何を写してるのかと思ったら、お月さんでした。

○子ちゃん、生まれる前から知っていて、生まれたら名前を考えて
その子がすくすく育ってるってことが、胸の奥のほうをあたたかく
してくれる。そのたからものを大事に大事にいとおしんでいる彼から
家族の団らんが伝わってくる。
生活できることの喜び、シンプルなそれだけのこと。
それが人をこんなにも変えてしまうなんて、ステキだ。

そういえば、うさこも生活を知ってからほんとうに幸せを知った、
そのころのことを、少し思い出しました。

石牟礼道子さんの「苦海浄土」を傍らに置いて、数行読むと本から手を離し、
置いてからしか再び読めない衝撃を、いくたびもくりかえし身に受けて、
それでもまた手にとって目を凝らす。
シンプルな喜びを奪われた苦しみを「知らないことの後ろめたさ」が
体中を駆け抜けて、しあわせとはその足元と手元と唇の先、まなこのすぐ
前にあるものだと割れるような音響が耳元で叫んでいる。
同じ日の午後、うさこの胸の中には現実と過去の悲劇が混在して
どちらかといえば疲れ、ひしゃげたような心持ちだったのであります。
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晩秋の敵?

2010-11-15 13:11:46 | Weblog
ほとんどのもみじが散って、この木がいつも
一番最後に残ります、今年もトリをつとめて。
見ごろを先週中ばに終え、散り敷かれた枯葉のじゅうたんはとても
ぜいたくです。歩いているだけで気持ちがほんわりします。



晩秋の森は気持ちいいのだけれど、問題は家の中!
あの臭~いカメムシの襲来に今年も備えが足りなくて後手に回って
しまったのであります。
建物の周囲の落葉をブロワーで吹き飛ばし、熊手で掻き集め、
あの手この手でカメムシの巣を無くし消毒します。
一日がかりでも終わりそうにない‥。

夜は豚しゃぶをみんなで食べて、そのあとはビデオ鑑賞。
ビデオったって、出演者は皆の衆ですけんね、
数年前、十年前の建設作業中のほぼ遊んでいるか食べて
いる風景の映像で、時がたってみてみれば、その時の感情も洗われて
海辺から凪いだ沖を眺めるようなもんで‥。

のはずだったんだけど、ボーゼンとしている方がいましたね~。
「あんなにバカだったなんて」「ほんと自分勝手なことしかしてない」
「先生に申し訳ないことしてたんだなーと思うとガックリですよ」とか
いろいろブツブツ言ってる人、何人でしたか、いましたねえ。
あの頃はあんなに悩んだのに、苦しんだのに、って思ってたんだけど
ほんとかよ?ただのアホだっただけじゃん、って感じなようでした。

事前に編集で確認済みだったうさこは、それにしても木材やいろんな材料を
無駄にしてたんだよなあ、打ち込んだ釘は曲がってるし‥、二度手間どころか
三度も四度も同じこと行ったり来たりしてるし、無駄無駄無駄‥、知らんかった、
と粗捜しはじゅうぶんに済ませた後なのでレーセーに観られたのでした。

素人の蛮勇、メクラ蛇におじず、若かったなあ、バカだーとしみじみ思えて、
すべて過去形で話ができるのって、晩秋のしあわせな夜ではないですか、
とは言わなかったけど、さて、まだ観ていないみんなはどんな顔して若い自分を
見るのやら。コワイもん観たさ半分懐かしさ半分かしらね~。
ドキュメンタリーに仕上げたら、またみんなで観ましょう。

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