新装版「苦海浄土」わが水俣病(石牟礼道子著講談社文庫)は
あとがきの後に解説、原田正純医師の「水俣病の五十年」が
加えられている。(2004年1刷、2007年2刷)
国による産業公害と公害病認定に恐ろしいほどの歳月を要した
「ミナマタ」の名を聞いたことはあるけれどもよくは知らない
という人にとって簡潔でわかりやすくまとめられている。
まずこの解説を読み、本文を読まずにスルーするならヒトデナシ
であるよ。
本書は1969年が初版。2004年刊行の石牟礼道子全集には
苦界浄土に続く第二部「神々の村」、第三部「天の魚」が
改稿、また書き下ろしを加えて収録された。
長く重い、命について書かれた読む人を圧倒する珠玉の作品。
いや、本の紹介などせずともすでに周知のこの作品はしかし
多くの人に読まれているのだろうか。
文庫版が持ち歩きに便利なので書店に立ち寄ったところ、
本好きと見える(いまどきは珍しいのだ)書店員が即座に
「ああ、石牟礼さんのは近頃新しいのが出始めているから
うちにも置いていると思います……、いや、あれ、ないな、
新装版出てるからあったと思ったんだけど取寄せですね」
と言った。10日ほどかけて届いたわけだけど、3年たって
2刷という奥付の数字を見てやはりなあとため息が出た。
本は売れていない。
紙の本より電子書籍へ移行したほうがいいと思っている書き手
も増えているだろうし、付録つきのアホ雑誌ばかりで商売
せざるをえないような状況で出版社も事業継続そのものが
危ういのだろうが…。
とまあ、そのようなご時世にあって宝物のようなこの作品に
めぐり合うことができた人が紙であれ、電子版であれ、
どんな形でも少しでも増えてほしいと切に願っている。
子々孫々まで語り継ぐべきことであるから。
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(東北自動車道那須PA。塩焼き魚、眺めるだけで買わずじまい…)
苦しい海とは不知火海(八代海)、新日本窒素肥料株式会社の
チッソミナマタ工場はその海浜に建ち、あろうことか工場の
排水口からは廃液の有機水銀母液が海へ垂れ流しにされ、魚介
が死に絶え、沿岸に猫一匹も生存しなくなった漁のできない
海のことだと誰にでもすぐに知れるが、その後に続けられた
「浄土」という言葉は何を意味するのだろうか。
いくら読んでもその理由は見えてこない。
反対に古寺の堂内に煤けて剥げかかった色合いで、でも十分に
恐ろしさの伝わってくる地獄絵がそのまま現実になってしまった
漁村の風景が緻密な言葉で描かれているのだ。
生きる糧を恵んでくれる海を奪われ、一家の大黒柱の生命を
奪われ、いつまでたっても立ち上がらない乳飲み子を産む母親
が列をなした生き地獄しかかかれていないのである。
作家自身の声を聞きたいと思った。浄土の意味は何なのか。
読むほどに苦しさの増す本書を携行し、気を取り直し取り直し
しながら読み続け、感じたかった。
極楽浄土よ、天然の恵みで生きられて栄華よ、龍宮城は本当に
あるとよ、と語る漁師の言葉通り海の美しさ。他所モノには
羨ましくてならないだろう風景が作品の冒頭に描かれている。
チッソさえなければ、そこに生きる人にとっては浄土であった
というような意味ならば、それは浅薄すぎる。
なぜミナマタの残酷な物語(フィクションではない)に浄土と
名づけられたか。
若い頃はぼんやりとした疑問であったが、ぼんやりとしていた
のは浄土も穢土も境目を知らなかった、無知だからであった。
(続く)
あとがきの後に解説、原田正純医師の「水俣病の五十年」が
加えられている。(2004年1刷、2007年2刷)
国による産業公害と公害病認定に恐ろしいほどの歳月を要した
「ミナマタ」の名を聞いたことはあるけれどもよくは知らない
という人にとって簡潔でわかりやすくまとめられている。
まずこの解説を読み、本文を読まずにスルーするならヒトデナシ
であるよ。
本書は1969年が初版。2004年刊行の石牟礼道子全集には
苦界浄土に続く第二部「神々の村」、第三部「天の魚」が
改稿、また書き下ろしを加えて収録された。
長く重い、命について書かれた読む人を圧倒する珠玉の作品。
いや、本の紹介などせずともすでに周知のこの作品はしかし
多くの人に読まれているのだろうか。
文庫版が持ち歩きに便利なので書店に立ち寄ったところ、
本好きと見える(いまどきは珍しいのだ)書店員が即座に
「ああ、石牟礼さんのは近頃新しいのが出始めているから
うちにも置いていると思います……、いや、あれ、ないな、
新装版出てるからあったと思ったんだけど取寄せですね」
と言った。10日ほどかけて届いたわけだけど、3年たって
2刷という奥付の数字を見てやはりなあとため息が出た。
本は売れていない。
紙の本より電子書籍へ移行したほうがいいと思っている書き手
も増えているだろうし、付録つきのアホ雑誌ばかりで商売
せざるをえないような状況で出版社も事業継続そのものが
危ういのだろうが…。
とまあ、そのようなご時世にあって宝物のようなこの作品に
めぐり合うことができた人が紙であれ、電子版であれ、
どんな形でも少しでも増えてほしいと切に願っている。
子々孫々まで語り継ぐべきことであるから。
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(東北自動車道那須PA。塩焼き魚、眺めるだけで買わずじまい…)
苦しい海とは不知火海(八代海)、新日本窒素肥料株式会社の
チッソミナマタ工場はその海浜に建ち、あろうことか工場の
排水口からは廃液の有機水銀母液が海へ垂れ流しにされ、魚介
が死に絶え、沿岸に猫一匹も生存しなくなった漁のできない
海のことだと誰にでもすぐに知れるが、その後に続けられた
「浄土」という言葉は何を意味するのだろうか。
いくら読んでもその理由は見えてこない。
反対に古寺の堂内に煤けて剥げかかった色合いで、でも十分に
恐ろしさの伝わってくる地獄絵がそのまま現実になってしまった
漁村の風景が緻密な言葉で描かれているのだ。
生きる糧を恵んでくれる海を奪われ、一家の大黒柱の生命を
奪われ、いつまでたっても立ち上がらない乳飲み子を産む母親
が列をなした生き地獄しかかかれていないのである。
作家自身の声を聞きたいと思った。浄土の意味は何なのか。
読むほどに苦しさの増す本書を携行し、気を取り直し取り直し
しながら読み続け、感じたかった。
極楽浄土よ、天然の恵みで生きられて栄華よ、龍宮城は本当に
あるとよ、と語る漁師の言葉通り海の美しさ。他所モノには
羨ましくてならないだろう風景が作品の冒頭に描かれている。
チッソさえなければ、そこに生きる人にとっては浄土であった
というような意味ならば、それは浅薄すぎる。
なぜミナマタの残酷な物語(フィクションではない)に浄土と
名づけられたか。
若い頃はぼんやりとした疑問であったが、ぼんやりとしていた
のは浄土も穢土も境目を知らなかった、無知だからであった。
(続く)