1年前の五月にわたしが何を感じて何を思って
いたのか。この日記によれば少なくとも今より
明るい気持ちだったみたいだな。
ノーテンキに花と空と樹とベイビーに楽しませて
もらって、ほのぼのと安らいでいたんだな。
それがためにこの地でいるわけであったな。
そして今年の五月、思うのはこの地に降った放射能
のことだね。
チェルノブイリって蓬(よもぎ)のことらしい。
ヒマワリで畑地を浄化しその後にさらに蓬を植える
ことで放射能を土から取り除く方法があるらしい。
ここは雨が多い。
春が終われば強い激しい雨が降る季節になる。
雨水とともに地中に浸透していく放射能物質はその後
どうなるのかを考え続けている。
今年のバラからジャムを作ることはできないな、とか。
咲いた花を部屋へ持ち帰って飾るのをためらうな、とか。
核の平和利用という言葉を馬鹿げた詭弁だと不快に
思いながら聞いてきた。90年代を境に下火になって
きた反核運動であるが、やめず続けてきた友人は今
九州の田舎で市役所の課長である。
ずっと課長のままである。
労組をやり反核運動の旗振りをやり離婚して子育て
しながら歳をとった。
彼はトーキョーにいるはずのわたしを案じ、つてを
頼ってフクシマにいると聞いて驚愕したという。
なんであんたがフクシマなんだよ、なんでだよって。
いいところだからよ~、とてもいいところだからさ~。
そう、答えた。
フクシマという地名、固有名詞がカタカナ表記になり
福島ではなくなった日を忘れまい。
広島、長崎の8.6、8.9を毎年忘れず黙祷するように
来年の3.11に太平洋側の東北沿岸部で祈りを捧げる
ように。再来年もその翌年も忘れられないように。
3.12という日付を人々は記憶せねばならない。
原子力発電所爆発事故は天災で明らかになった人災。
人の犯した罪だ。その恐怖は今も続いている。
フクシマの恐怖はそれが福島で終わらないところだ。
対岸の火事、そういえないのが原子力発電所である。
そのことを幾人の人が身にしみて感じているだろうか。
長崎の友、心配してくれて、ありがとう。
けれども、このことでここを去ることはないよ。
今以上に、この地をイトオシク思っているんだから。