橋を架ける、という言葉、事に惹かれる、むしょうにである。
むしょうにというが、実は理由はおもいあたらなくもない。
このような言い回しをするのが本当ははた迷惑だろうなーと
思うが、うさこのもう一つの本性はこういうカンジなのね、
ごめんなすって。
父は戦前の中国東北地方で何をしていたのかというと、橋を
造っていたのであるよ、測量技師でもあったかんね。
満鉄調査部には日本で左翼活動の経歴がある人がもぐりこむ
というかけっこうな数で雇われていて、つまり知的に自由で
あったようだ、その時代的には。
しかし父は満鉄は官僚だからやっぱ虫が好かないので辞めて
しまい独立して自分のカイシャを作ったのですな。
すべて引き揚げでパーになったその後の裸一貫の時代にうさこは
生まれたわけなので、満州の栄華とは全く関係がないわけですよ、
お金持ち時代の父のことは写真で見たことがあるだけです。
幼子のうさこは父の膝の上で話を聞きながら育ち「橋を架ける」
性分だけ受け継いだというわけです。三つ子の魂だかんね。
長い話だったな~。傍メーワクだわね、ごめんごめん。
さらに言うと橋を架けるという意味はとても深くて昭和の大作家
保田與重郎に影響されたってのもありますね。
(旧事本紀を学んでいるカメの影響が大なのはむろんのことだが)
点と点をつなぐには橋がいる。
他人と他人のあいだにも架け橋を、ね。
他国と他国のあいだにも、ね。
天と地の間にも、それはあればいいねー、とまあこんなわけで。
ロマンは広がる、はてしなく。
ああ、そうそう世代と世代にも、そして過去と未来へもつながる。
そういう願いを込めるのだね。
橋というのは、なんと魅力のある言葉なのかと思うわけです。
意味不明、感性にひびかない、わかんなーいというだけで途絶
させてしまうのはザンネンなことです。
だれかが橋を架ける、そしてつなぐ。こちらとあちら、彼方まで。
こんなに魅力的なことはないと思いますね、ますます好きになる
感じです、歳を重ねるごとに。
近頃よく耳にする絆kizunaという言葉よりもよほど好きだなあ。
かかか更新しました、ぷーちゃんにかかりきりで
とても遅くなってすみませんでした。
ぷーちゃんは術後丸2日が過ぎようとしていますが、今朝もご飯を
バクバク食べたそうです。
「ちゃんとお手してくれるんです、かわいいですよー」と看護士さんに
言われました。外ヅラの良さをいかんなく発揮してるもようです。