想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

橋が好き

2011-05-18 22:35:27 | Weblog

橋を架ける、という言葉、事に惹かれる、むしょうにである。
むしょうにというが、実は理由はおもいあたらなくもない。
このような言い回しをするのが本当ははた迷惑だろうなーと
思うが、うさこのもう一つの本性はこういうカンジなのね、
ごめんなすって。

父は戦前の中国東北地方で何をしていたのかというと、橋を
造っていたのであるよ、測量技師でもあったかんね。
満鉄調査部には日本で左翼活動の経歴がある人がもぐりこむ
というかけっこうな数で雇われていて、つまり知的に自由で
あったようだ、その時代的には。
しかし父は満鉄は官僚だからやっぱ虫が好かないので辞めて
しまい独立して自分のカイシャを作ったのですな。

すべて引き揚げでパーになったその後の裸一貫の時代にうさこは
生まれたわけなので、満州の栄華とは全く関係がないわけですよ、
お金持ち時代の父のことは写真で見たことがあるだけです。
幼子のうさこは父の膝の上で話を聞きながら育ち「橋を架ける」
性分だけ受け継いだというわけです。三つ子の魂だかんね。



長い話だったな~。傍メーワクだわね、ごめんごめん。

さらに言うと橋を架けるという意味はとても深くて昭和の大作家
保田與重郎に影響されたってのもありますね。 
(旧事本紀を学んでいるカメの影響が大なのはむろんのことだが)
点と点をつなぐには橋がいる。
他人と他人のあいだにも架け橋を、ね。
他国と他国のあいだにも、ね。
天と地の間にも、それはあればいいねー、とまあこんなわけで。
ロマンは広がる、はてしなく。

ああ、そうそう世代と世代にも、そして過去と未来へもつながる。
そういう願いを込めるのだね。
橋というのは、なんと魅力のある言葉なのかと思うわけです。

意味不明、感性にひびかない、わかんなーいというだけで途絶
させてしまうのはザンネンなことです。
だれかが橋を架ける、そしてつなぐ。こちらとあちら、彼方まで。
こんなに魅力的なことはないと思いますね、ますます好きになる
感じです、歳を重ねるごとに。
近頃よく耳にする絆kizunaという言葉よりもよほど好きだなあ。



かかか更新しました、ぷーちゃんにかかりきりで
とても遅くなってすみませんでした。

ぷーちゃんは術後丸2日が過ぎようとしていますが、今朝もご飯を
バクバク食べたそうです。
「ちゃんとお手してくれるんです、かわいいですよー」と看護士さんに
言われました。外ヅラの良さをいかんなく発揮してるもようです。




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親分といっしょ

2011-05-18 00:30:00 | 親分

親分のそのまた親分(アルファー)カメといっしょにゆったりと
たき火なんぞしている、去年の5月末の森の景色です。
月末くらいには森へ戻れるようになればいいなと願いを込めて
この写真をアップしましたよ。



つつじのピンクがみどりに色を添える頃に間に合えばいいなあ。
1週間くらいで退院の予定なのでだいじょうぶだろうと思います。

今日、ベイビーの顔を見に行って、手術の様子を撮った映像を見せて
いただきながら説明を受けたのですが、本当に安堵しました。
手術を受けてよかったと思いました。腫瘍は2つ以上、細かいのが
たくさんありました。こんな状態なら出血が止まらなかったはず
だなあ、ウンチするのが大変だったんだろうなあ、と思ったね。

獣医学の先端技術にもとても感心しました。
いい先生に出会えたことも幸いでした。
最初の小さい頃からかかりつけだった医師から放り出された昨年の春、
放り出してくれて良かったですわ、あの医者の言う事を聞いて頼って
いたらベイビーはいまごろはもういなかったと思いますから。

後ろ脚の具合が悪そうなのを診て、脊椎の画像をよくみて変形を発見
し鍼治療を施したという話でした。
いたれりつくせりで、犬歯の歯茎もずいぶん前から変形していたのを
レーザーメスできれいに治してありました。
何年分かまとめて治療しているようなもので、ベイビーもそれを承知で
よろしく、なんて顔をしているわけです。おかしかったです。
看護士さんにひっついて、バイバーイみたいな顔で見送るんです。
いい子ちゃんすぎます。

お見舞いに行ったのに、ベイビーに会った帰り道は気持ちが晴々とし、
いっぺんに元気が戻ってきました。
いつもいっしょにいるときみたいなベイビーの気配がピタっときて
包んでくれました。懐かしい気配。

これから先、ベイビーにゆっくりとつきあっていけるように、さらに
いろいろなことを備えようと思ってます。
足腰が弱くなって寝たきりになってもどんなふうでも、わたしにとって
ヤツの存在はかけがえのないものなのだと身にしみて思いました。

いつもこうして愛を教わってきました、これからもたぶん、そうです。





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