ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

(訃報)土井たか子さん

2014-10-04 18:05:22 | 政治経済
9月20日、日本社会党の党首だった土井たか子さんが亡くなられました。享年85歳。
でも、アジア大会や御嶽山噴火もあって、あまり報道されませんでしたね。もうすっかり過去の人です。

90年代初頭まで、日本社会党は衆議院で130議席前後を確保する堂々たる野党第一党、土井さんはその初の女性党首、おたかさんとかマドンナ旋風とか言われて、大層な人気者でした。

皮肉な事に、社会党の凋落のきっかけはライバル自民党の失政。政治改革(選挙制度改革)が出来なかった宮沢内閣に対する不信任案に自民党内部からも同調者が現れ、衆議院は解散総選挙。
結果、自民党は過半数割れに追い込まれますが、この選挙で大敗を喫したのは、日本新党、新党魁(さきがけ)等の新党ブームに埋もれ議席を半減させた日本社会党でした。
反自民は結集し連立政権を組みます。この時日本社会党は敗れたとはいえ70議席でまだ最大勢力、土井さんが日本初の女性首相になっていてもおかしくなかった。しかしながら万年野党だった日本社会党に、権力闘争を勝ち抜く気概もしたたかさもありませんでした。
首相に指名されたのは日本新党の細川護熙さん、裏で画をかいていたのはあの小沢一郎さん、土井さんは実権のない衆議院議長に祭り上げられてしまいました。

細川さんが1年足らずで首相を放り出し、その後を継いだ羽田首相も進退窮まるに及んで、日本社会党は一転、ライバル自民党と連立を組み、94年に村山内閣が誕生しました。したたかな小沢さんよりも、政権奪回のためなら首相の座も投げ出す自民党を組み易しとみたのでしょう。
しかしながら、政権与党として従来の路線を180度転換せざるを得なかった日本社会党は従来の支持者に対し求心力が低下、選挙で議席を減らし続けます。阪神大震災、オウム真理教事件があって世間が騒然とする中、村山内閣は1年半で総辞職、以降首相の座は再び自民党へ。またしてもしてやられた社会党って感じでした。
その後、社民党と名を変え党首に復帰した土井さんですが、鳩山兄弟・管直人の民主党に党員を抜かれ党勢がますます弱体化し、選挙は連戦連敗。03年に再び党首を辞任、05年には自らも選挙に落選し、そのまま政界から引退しました。

諸行無常、万物流転、色即是空、私は、ほとんどニュースにもならない土井さんの訃報を聞いて、組織を維持することの難しさを改めて感じずにはいられませんでした。
安定期にこそ、冷静に環境の変化を予測し、将来への布石を打つ。
戦略、戦術は時代に合わせて柔軟に変えても、存在意義、理念は変えてはいけない。
他山の石、反面教師としたいです。
ご冥福をお祈りします。
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