ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

江古田原古戦場碑

2007-05-19 20:04:54 | 歴史
ジョギングをしてて、たまたま見つけた江古田原古戦場跡の碑。
太田道灌と豊島泰経が激戦を広げた土地ということで、江古田公園の片隅に大きな碑が建てられていました。

太田道灌と言えば江戸城を築城したことで有名な室町時代の武将です。
豊島氏は、今で言えば練馬区や北区を拠点に、武蔵野で勢力を誇った地方豪族。
太田道灌は関東管領扇谷上杉家の家宰で、いわば室町幕府方。主筋の上杉氏の有力家臣・長尾景春による反乱を平定する為に影春に組した豊島氏と戦うことになりました。
この地は、江古田川と妙正寺川の合流地点で、豊島氏の本拠地に近い要衝だったのでしょう。
妙正寺川の流れが湾曲していて南側が小高い丘になっているので、道灌はここに陣取ったのかな、なんて想像してしまいます。

地元で圧倒的な戦力を誇った豊島氏ですが、戦いは道灌の圧勝。その後も景春方を攻め潰し、ほとんど独力で乱を平定しました。
その道灌の実力、名声は絶大なもので、そのまま戦国大名への道を駆け上がる可能性もあったのでしょうが、最後は主筋の上杉管領家に暗殺されてしまいました。
有力な家臣を自らの手で抹殺してしまった上杉管領家は北条早雲に追われ、時代は戦国時代に。
江戸城は、その約100年後に戦国代大名レースの最後の勝者となった徳川家康のものとなりました。
まあ、太田道灌の江戸城は、影春の乱平定の前線基地だったのですから、小規模なものだったのでしょう。その後、徳川家康によって、江戸城や江戸の街は作られていったわけですが、例の「山吹の唄」の伝説とか、初代江戸城の主の伝説も、東京のところどころに残されています。
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