以前にブログにも書きましたが、祖父が去る1月9日、谷川真理ハーフマラソンの日に永眠しました。
というわけで我が家は喪中でございます。
年末年始のご挨拶を失礼させていただきます。
茲に本年中のご芳情を厚く御礼申し上げますとともに、明年も一層のご厚誼の程よろしくお願い申し上げます。
祖父は1902年(明治34年)生まれ、享年102歳でした。
生まれたのが日露戦争の2年前で、シナ事変に出征しているのですから、ほとんど歴史上の人ですね。
明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きての大往生だったので、本人にとっても悔いのない人生だったでしょう。
晩年の数年は老人性の認知症で私が誰かも分からない状態でしたが、それまでは至って健康、頑丈でした。
お酒が好きで、95歳くらいまでは誘われて一緒に飲みに行ったりしてました。
その頃は私も近所に住んでいたのですが、悪い癖で、店の人に「孫を呼べ。」と命令するのです。
「始めまして。夜分恐れ入ります。○○と申します。あなた様のおじい様が店にいらしてまして、どうしてもここに呼ぶようにとおっしゃられているものですから。。。」みたいな電話が時々かかってきては、いろんな地元の店へ顔を出しました。
年賀状を29日頃に書くのが習慣になっていたもので、喪中はがき、まだ全然書ききれていません。
ブログを読んでいただいている方々には、これをもって喪中のご挨拶ということで、手抜きをさせてください。
というわけで我が家は喪中でございます。
年末年始のご挨拶を失礼させていただきます。
茲に本年中のご芳情を厚く御礼申し上げますとともに、明年も一層のご厚誼の程よろしくお願い申し上げます。
祖父は1902年(明治34年)生まれ、享年102歳でした。
生まれたのが日露戦争の2年前で、シナ事変に出征しているのですから、ほとんど歴史上の人ですね。
明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きての大往生だったので、本人にとっても悔いのない人生だったでしょう。
晩年の数年は老人性の認知症で私が誰かも分からない状態でしたが、それまでは至って健康、頑丈でした。
お酒が好きで、95歳くらいまでは誘われて一緒に飲みに行ったりしてました。
その頃は私も近所に住んでいたのですが、悪い癖で、店の人に「孫を呼べ。」と命令するのです。
「始めまして。夜分恐れ入ります。○○と申します。あなた様のおじい様が店にいらしてまして、どうしてもここに呼ぶようにとおっしゃられているものですから。。。」みたいな電話が時々かかってきては、いろんな地元の店へ顔を出しました。
年賀状を29日頃に書くのが習慣になっていたもので、喪中はがき、まだ全然書ききれていません。
ブログを読んでいただいている方々には、これをもって喪中のご挨拶ということで、手抜きをさせてください。
ご長寿な粋な御祖父様をお持ちになられて、ラスカルさんよかったですね。きっといつもラスカルさんご家族を見守ってくださっておられるのでしょうね。
そうですよね。
通常であれば親を亡くすような歳まで、祖父と付き合ったんだから、父親が二人いたようなものかも。
父は酒がほとんど飲めないので、身内で酒というとおじいちゃんでしたね。
走る9番ライトさん
にぎやかに飲んで騒ぐのが好きな人でした。
一周忌も三回忌も楽しくにぎやかにやってやろうと思っています。