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久し振りにカワサキ単車の昔話を。
今回は。ヤマハオートセンターの杉浦斎さんのこと。
今のレッドバロンも社長さんである。
バイク屋だが、ただのバイク屋ではない。多分世界一のバイク屋さんである。
ホームページを見てみると、
店舗数285店、売上高745億円、従業員数2263名とある。
この杉浦さん、ヤマハの社員からの独立開業である。
昭和47年(1972)3月、開業とある。
はじめて杉浦さんと会ったのは、75年7月だが
カワサキが特約店制を始めたころで、YACもまだ岡崎に1店舗だけの時代であった。
あれから40年近く経ってはいるが、これだけ大きくなっているのは素晴らしい。
普通の人ではこうはならない。
杉浦さんは、業界でも『うるさ型』で通っていて、みんな近寄りたがらならなかったのだが、
なぜか気があって、そんなに何度も会ったわけではないのだが、二人で話をした時間は結構長い。
無茶苦茶うるさくて、やり込められることも多かったが、いつも仕事の話以外全然脱線しないのは見事であった。
昼飯を挟んで連続10時間近く話をしたこともある。
家には、杉浦さんからの立派な贈り物が幾つもある。
会ったときは『喧々諤々』文句ばっかり言い合っているのだが、多分杉浦さんが言い過ぎたと思って、贈って下さったのだと思っている。
年は私のほうが、上である。
その杉浦さんとの最初の出会いのきっかけになったのが、大阪の船場モータースの息子さんにヤマハオートセンターから送られてきた、ダイレクトメールだったのである。
船場の岡田博さんも当時なかなかうるさくて、『岡崎からDMを出してくるとは、テリトリー侵害。ケシカラン、文句を言ってきてくれ』と頼まれて出かけたのが最初なのである。
この話は、前に『SENBA60周年』と言うブログにその経緯を書いたりした。
昨日だったか、その船場の息子さん?(兄弟おられるのでどちらだったかは定かでない)からメールが来て、
『ブログ拝見しています。4月26日に大阪の中ノ島公会堂でビンテージバイクの展示会をやりますので』というお誘いである。
今回もそれで、杉浦さんを思い出したのである。
お二人とも『うるさ型』だが、機会があれば是非一度お会いしたいと思っている。
船場の岡田博さんとも長くご無沙汰なので、
是非、当時の忍者の伊藤さんや竹内君を誘って、『中ノ島まで出かけてみるか』などと、思っている。
久し振りにカワサキ単車の昔話を。
今回は。ヤマハオートセンターの杉浦斎さんのこと。
今のレッドバロンも社長さんである。
バイク屋だが、ただのバイク屋ではない。多分世界一のバイク屋さんである。
ホームページを見てみると、
店舗数285店、売上高745億円、従業員数2263名とある。
この杉浦さん、ヤマハの社員からの独立開業である。
昭和47年(1972)3月、開業とある。
はじめて杉浦さんと会ったのは、75年7月だが
カワサキが特約店制を始めたころで、YACもまだ岡崎に1店舗だけの時代であった。
あれから40年近く経ってはいるが、これだけ大きくなっているのは素晴らしい。
普通の人ではこうはならない。
杉浦さんは、業界でも『うるさ型』で通っていて、みんな近寄りたがらならなかったのだが、
なぜか気があって、そんなに何度も会ったわけではないのだが、二人で話をした時間は結構長い。
無茶苦茶うるさくて、やり込められることも多かったが、いつも仕事の話以外全然脱線しないのは見事であった。
昼飯を挟んで連続10時間近く話をしたこともある。
家には、杉浦さんからの立派な贈り物が幾つもある。
会ったときは『喧々諤々』文句ばっかり言い合っているのだが、多分杉浦さんが言い過ぎたと思って、贈って下さったのだと思っている。
年は私のほうが、上である。
その杉浦さんとの最初の出会いのきっかけになったのが、大阪の船場モータースの息子さんにヤマハオートセンターから送られてきた、ダイレクトメールだったのである。
船場の岡田博さんも当時なかなかうるさくて、『岡崎からDMを出してくるとは、テリトリー侵害。ケシカラン、文句を言ってきてくれ』と頼まれて出かけたのが最初なのである。
この話は、前に『SENBA60周年』と言うブログにその経緯を書いたりした。
昨日だったか、その船場の息子さん?(兄弟おられるのでどちらだったかは定かでない)からメールが来て、
『ブログ拝見しています。4月26日に大阪の中ノ島公会堂でビンテージバイクの展示会をやりますので』というお誘いである。
今回もそれで、杉浦さんを思い出したのである。
お二人とも『うるさ型』だが、機会があれば是非一度お会いしたいと思っている。
船場の岡田博さんとも長くご無沙汰なので、
是非、当時の忍者の伊藤さんや竹内君を誘って、『中ノ島まで出かけてみるか』などと、思っている。