林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

あの子はいま

2015-11-19 | 遠い雲

小学校の合同同窓会で貰った名簿を繰り返し眺めている。
連絡先不明が多く、死亡もかなりある。
名前すら載っていない子もいる。
そろそろ百近くもなれば、仕方がないことですかね。

キヨミさんは来ていなかった。名簿に名前もないとは悲しいね。
竹久夢二が描いた美少女のように、目がぱっちりとし、胃下垂気味の姿勢で、いつも寂しそうに教室の片隅にいる女の子だった。
台峯の生き字引として、新住民にもてもてのイタちゃんによると、聖路加病院の創立者一族だそうだが、本当だろうか。
確かに丘の上の邸宅街から通学していて、土着民の子が多い同級生からは無視されていた。でも森生ちゃんはね.......。

ブンコは、森生の高校時代の同級生と結婚していた。
お洒落で目立つ子で、流石に白髪になってはいたが、綺麗なおばぁさんになっていた。
でも森生は覚えている。全員整列させられた挙句、アメリカの差し金でDDTを頭からぶっかけられ、べそをかいてたことを。
あのブンコがあいつのヨメになってたとはなぁ。

向こう隣の広い邸に住むご令嬢のシゲコさんが来ていた。
椿組だったこともあり、桃組の森生は口をきいたことはなかった。

ただ、時々聞こえてくるピアノの音に、森生はこっそり耳を傾けていたんだよ。

原住民の森生一家は、東京から疎開してきたシゲコさんちとは付き合わなかった。
祭礼の寄付金を集金する父は、どちらかというと嫌ってたようだ。
しかし母は晩年になって、シゲコさんのお母さんと、団体旅行に何度も参加して楽しんでいた、とシゲコさんは教えてくれた。
ありがとうね。

隣のショウちゃんは博打が原因の借金で、小学校に入るまで女の子として育ったアグリちゃんは不摂生が祟り、二人とも大分前に死んだそうだ。

英国式石彫庭園がある薄暗い西洋館に住んでいたヒサシくんは、中学生になって精神に変調を来して施設に入り、そのまま亡くなったらしい。

雲頂庵の真下にいたシンちゃんは、七里ヶ浜へ引っ越したそうだが、体調不良で不参加だった。
会いたかった。

マンザイくんは、大企業の相談役のような、驚くほど品のいい老紳士に脱皮していた。
家の近くの銭湯も、チンドン屋になって客寄せをした衣料品屋の「デブヤ」も、今は無いそうだ。

蓄音機で「ドナウ川のさざ波」を初めて聞かせてくれたヤマちゃんはどこへ行ったんだろう。
お父さんは北鎌倉か鎌倉駅の駅長だったと思う。

貰った名簿は桜組が欠落してたりして不完全なもの。
だが、いくら見ていても見飽きない。
忘れてた事を次から次へと思い出し、キリがない。
今日はここまで。

151119 



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