林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

枯れすすき

2007-11-15 | 歌の翼に

 

 朝日新聞に懐かしい写真が載った。霞ヶ浦の帆引き舟である。
50年代までは白い帆だけだったが、今は実用ではなくなったので7色の総天然色とは情けないが........。

あの頃、名匠今井正監督の「」を観た。
名脇役の望月優子が貧農のおかみさんに扮し、それはそれは重く辛い内容だったが、霞ヶ浦や水郷潮来周辺の1年を撮影した素晴らしい風景は楽しめた。
映画には木村功が漁師に扮して帆引き舟に乗っていた。

その少し前に、日本橋高島屋で洋画の金山平三の大規模な回顧展があり、潮来周辺の美しい風景画に圧倒されて以来、絵が好きになった。
現在では金山は忘れられているが、現代洋画でありながら「御物」として出品された作品が多いので、恐らく皇居外苑の「三の丸尚蔵館」に収蔵されているのだろう。
もう一度観てみたい。

そういうことがあって、潮来や霞ヶ浦や、佐原の古い町並み や香取鹿島神宮が好きになって、何度も出かけたものである。
佐原の掘割沿いの古い家は宮尾登美子さん原作のNHK本格TVドラマで役割を変えて何度も出ている。

明治百年記念事業として「ジャパンツ」を開発した頃は、デカパン問屋の腕っこき営業マンが佐原の出身だった。
あの辺のことを絶賛したら、大喜びでご招待して下さった。
香取神社の奥の高台で、水郷方面を眺めながらトコロテンの饗応があったけれど、別にパンツの仕入れを増やした覚えは無いから、守屋前次官と較べて随分器が小さかった、と後悔している。

潮来と言えば、「枯れすすき」であろう。
だが野口雨情中山晋平組の「船頭小唄」ではなく、「さくらと一郎」なんである。
演歌には珍しく斉唱ではなく、和音を使うデュエットで、胸掻き毟られる名曲だけれど、あのお二人は、どこでどうしているのやら.......。

      「昭和枯れすすき」   山田孝雄作詞
                      むつひろし作曲 伊部晴美編曲

      貧しさに負けた  いえ 世間に負けた
      この町も追われた いっそきれいに死のうか
      力の限り 生きたから
      未練などないわ
      花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき

      踏まれても耐えた  そう 傷つきながら
      淋しさをかみしめ 夢を持とうと話した
      幸せなんて 望まぬが
      人並みでいたい
      流れ星見つめ 二人は枯れすすき

      この俺を捨てろ  なぜ こんなに好きよ
      死ぬ時は一緒と あの日決めたじゃないのよ
      世間の風の 冷たさに
      こみあげる涙
      苦しみに耐える 二人は枯れすすき

この春、あやめ祭りで賑わう潮来出島をTVで見た。
水路はどこもかしこも剃刀護岸が出来てアッケラカン。金山平三の風景は無い。
霞ヶ浦の芦は護岸工事で刈り取られ湖水の汚染が酷いという。芦原には湖水の浄化機能があった由。
今になって芦原の復元を始めていると聞く。
鹿島港が出来て鉄道が開通した。鹿島神宮の森厳な森はどうなったろうか。

行きたいけれど想い出だけにしておこう。

さくらと一郎はHPがあり、現さくらは2代目なんだとか。



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