笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

炭鉱の町で

2008年07月16日 23時51分04秒 | 映画
今日は仕事がお休みだったので、撮り溜めていたビデオの鑑賞を致しました。
「リトルダンサー」(2000年BBCフィルムズ)でございます。
私、泣きました(^^;)。作品に、というよりも改めて「親という存在」にでございます。

時代が石炭から石油に移行する中、ストが続く炭鉱の町でひとりバレエダンサーを夢見る11歳のビリーの物語です。
彼の兄と父親は筋金入りの炭鉱夫であり、進行中のストライキのリーダー的な存在でもあります。
亡くなった母親はダンスが好きで、ビリーは多分母親似。。。。と映画のあらすじはいいとして。

「バレエダンサーを夢見るなんて絶対に許さない!」父親でしたが、彼の前で踊るビリーを観て、兄の前で泣きます。
「彼はまだ11歳だ。才能があるかもしれないんだ」と。多分父親なりに時代の流れも感じていたのでしょう。
炭鉱に家族の未来はもう見出せないだろう。自分の子供が自分の未来を見つけたのならなんとか応援してやりたい、と。

他人の為に生き方や信条を変えることはないかもしれないけれど、子供のためになら親は生き方や信条まで変えられるものなのですね。本当にありがたいものなんだな、としみじみ感じます。

そこで思い出した「親」がもう二人いました。
ひとりは「フラガール」(2006年)のチヨ。開演に向けてダンスの練習をするキミコを見て、ハワイアンセンターの危機を救うべく頭を下げてストーブを集める母。
もうひとりが「遠い空の向こうに」(1999年)のジョン。ホーマーと仲間たちのロケット製作を苦々しく感じながらも、彼らの夢を影で支える父。
そういえばどれも炭鉱の町が舞台でした。炭鉱は既に斜陽産業だったのです。

どの親も自分たちの現在と未来の狭間で本当は悩んでいるのですね。親として子供に示すべき良き未来への入り口が何なのか迷っている。でも悩んでいる姿は子供たちに決して見せないのです。なぜなら未来を示すのが「親としての責任」であると信じているから。
だから価値観の違う未来を子供が選ぼうとした時、親たちは猛然と反発するのかもしれません。
多分「今まで苦労して育ててきた」自分の生き方まで否定されたと感じて。
「お前と一緒に仕事が出来る」。そう誇らしげに言うホーマーの父親の言葉こそ多くの親の気持ちなのかもしれません。。

「リトルダンサー」では、ビリーを応援すると決めた父親の、なんとも吹っ切れたような笑顔が印象的です。
この作品は決してビリーのサクセスストーリーではありません。親子の和解の物語だと思うのです。
親に「自分が努力した人生と同じくらい」、と感じさせる努力を子供が見せれば、きっと人間同士としてお互いを理解することが出来るのではないか。ちょっと大げさかもしれませんが、そんなことまで考えさせてくれた作品でした。
コメント
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