最近の世の中・・・『仁義』という言葉が遠退いているように感じます。
それが時代というものなのでしょうか?悲しい事です・・・。
昔の大相撲 ~
故郷を離れて相撲部屋へ行く青少年達は、
「故郷に錦を飾る」
「故郷の親を幸せにしたい」
「日本の国技である相撲道を突き進みたい」
「部屋の親方や力士達と共に頑張る」etc・・・
部屋に入門させて頂いての自分という謙虚な姿勢から始まっていたように思います。
親方への『仁義』タニマチへの『仁義』相撲ファンへの『仁義』というものが確実にありました。
今の大相撲 ~
「日本の歴史や国技は横に置いておいて、まずは自分の立身出世」
「とにかくお金を稼ぎたい」
「部屋の親方や力士達に迷惑かけても仕方ない」etc・・・
に傾きつつあるように感じます。
あくまでも一部です。
部屋に入門させて頂く~というよりも入門してきたよ!という色合いを感じます。
親方への『仁義』もタニマチへの『仁義』も相撲ファンへの『仁義』もなくなりつつあるのは残念です。
(注:勿論、素晴らしい力士は沢山いらっしゃいます。
サボり事件・暴力事件・大麻事件・・・など、一部で感じる事です。)
『仁義』という単語を辞書で調べると、、、
・道徳上守るべき筋道。「仁義にもとる行為」「仁義を重んじる」
・他人に対して欠かせない礼儀上の務め。義理。
・仲間の道徳・おきて。また、その仲間内で行われるあいさつ。
『仁』という単語を調べると、、、
・思いやり。いつくしみ。なさけ。
特に、儒教における最高徳目で、他人と親しみ、思いやりの心をもって共生(きょうせい)を実現しようとする実践倫理。
『義』という単語を調べると、、、
・人のふみ行うべき正しい筋道。
・私欲を捨て、公共のためにすること。
・血縁でなく約束でつながった関係。
いつでも自分中心に・自分が良ければそれで良いというだけの目先の選択をして生きていくのは、
短絡的に鑑みるに損はないように思いますが、
長い目でみると必ずや自分に損がかえってくる生き方なのかもしれないと感じます。
”人”というのは自分一人では生きられない生き物ですし・・・持ちつ持たれつして生活を送っていく生き物です。
冷静に見廻してみると、何が最低限の礼節なのか・・・がよくみえてくるものと感じます。
犬だって『仁義』というものを持っております。
『仁義』というものを大切にしてみる・・・
すると自分を取り巻く環境がもっともっとも~っと優しくて素敵なものになると思います。
追伸:本日出会った蝉です。近所の網戸にとまって元気よく鳴いておりました。
一日でも長く生き抜いて欲しいものです。
もうすぐ秋の虫の音が始まりますね・・・。
ーby事務長ー
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