大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典・わたしの徒然草66『花に鳥つくるすべ』

2021-04-08 06:12:58 | 自己紹介

わたしの然草・66
『花に鳥つくるすべ』  


 

 第六十六段「花に鳥つくるすべ知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず」

 この段は難しいですね。岡本関白殿(近衛家平)が鷹匠に、鷹狩りの獲物を誰かに(天皇?)献上しようとしたことを書いたものです。
「花のついた枝に二羽くっつけて、差し上げて欲しいねんけど」
 関白さんは、自分のアイデアを、家人である鷹匠に言いつけました。ところが鷹匠は、こう答えました。
「花に鳥つくるすべ知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず」

 口語訳

「花のついた枝に鳥を付けて差し上げるような作法は知りまへんなあ。一枝に二羽くっつけて差し上げることもマナーにはおまへん」
 そう言って、鷹匠は、主人の関白さんに作法を、こんこんと説いて、きちんと作法通りやってのけた。それを兼好のオッチャンは「偉い鷹匠や!」と感心しているのであります。有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい兼好ならではの段であります。

 有職故実というのは、礼儀作法を含めた古来のシキタリのことであります。「有職雛人形」などの言葉に、現在でも、かすかに言葉の意味が伝わっております。
「有職雛人形」とは、古来からのシキタリにのっとった、由緒正しいお雛様である……と、いうことですね。
 しかし、シキタリというものは、時代によって微妙に変化します。例えばお雛様は、お内裏さまが、向かって左。お雛様が右側となっていますが、これは明治に入ってきた欧米のシキタリを真似たもので、それ以前は左右が逆であります。
 時代劇で、武士が正座し、刀を右に置くのは江戸時代に入ってから。それまでは胡座で、刀も左側に置いていました。これは、何かの拍子でキレた武士のオッサンが、勢いで刀を抜いて相手に斬りかかりにくいようにしたものであります。正座のまま刀を抜こうとしたら、胡座より刀を構えるのに時間がかかります。右に置くのもそう。いったん左手に持たなければ刀は抜けません。そのわずかの隙に相手は、身を引けるようにして、「カッとなって切りました」ということが起こりにくいようにしてある。

 シキタリは、長い時間をかけて変化し、取捨選択されてカタチになっていくものです。

 戦後……戦後とは、昭和二十年に終わった大東亜戦争の後の時代を指します。で、戦後、このシキタリが日本史上の最速の早さで、変化し……いえ、その多くは無くなってしまいました。
 分かり易いところでは、トイレ。名前からして変わってしまいました。昔は「便所、雪隠、ご不浄、はばかり、東司、厠」と様々、今は便所以外は通用しないでしょうね。そして、トイレそのものの様式であります。シャレではないが洋式になってしまいました。前世紀末から、これにウォシュレットなるものまで、シキタリ化してきました。
 結婚式、葬式などの変化も著しいものがあります。シブチンの晩婚であったわたしなど、結婚式そのものをやっていません。めんどくさいことと、費用の節約のためであったが、これで縁が切れてしまった親類もいて、今は、いささか反省しております。

 無くなったシキタリで、わたしが一番気にしているのは、卒業式のシキタリです。卒業式という言葉そのものが、公立の学校からは消えてしまいました。卒業証書授与式といいます、なんだか運転免許の交付のように軽々しい言葉になっています。しかし、みんな言葉では「卒業式」といいますね。「卒業証書授与式」という軽い言葉は、司会の教頭が開式と閉式に言うだけです。女性警官を婦警さん、女性看護師を看護婦さんというシキタリも、日常では、まだ生きていると思うのですが。女警とは言いませんよね。

 卒業式で無くなったシキタリは、別れの歌としての『仰げば尊し』『蛍の光』であります。わたしが、ハナタレであったころには、このシキタリは生きていました。昭和四十年ごろから無くなってきて、これは、式日に日の丸を掲揚しなくなった時期と重なると感じます。柔らかくは「市民運動」「学生運動」の活発化の中で。アカラサマには、社会の心情的左傾化の中で消えてきてしまいました。

 卒業式には、生徒からアンケートをとり、年ごとに卒業ソングを決めています。たいていその年の流行歌から選ばれます。個人的に歌としていいなあと思う歌もありますが、卒業式は、やはり明治このかた、培ってきたシキタリとしての、『仰げば尊し』『蛍の光』であると思うのですが。

 ようやく、『君が代』がシキタリとして日の目を見始めました。国旗、国歌を軽んずる風潮は、時として、海外邦人は奇異の目で見られたそうです。スポーツ競技の開会式で、たいていの国では国歌を起立して唄うのに、日本人だけがボサーっと座ったままで、叱られたこともあるそうです。前世紀、長野オリンピックで国旗を「選手団の旗」国歌を「選手団の歌」とアナウンスし物議をかもしたこともありました。たしか、この大会では、こともあろうに対立する国の国歌を間違って流してしまったことがあったと思います。ある国の国旗は掲揚の仕方(縦か横か)によってデザインが違うものがあります。横用のものを縦に掲揚して、これも苦情が来ました。
 その昔、東京オリンピックでは、国旗を上下逆さまに掲揚しないように、停め金具を旗の上と下で別ものにして事故が起こらないようにしたそうです。そういうシキタリに関する気配りが岡本関白殿(近衛家平)のように希薄になってきたように思います。

 他にも、エリザベス女王が来日された際、イギリス国旗を上下逆さまに掲揚したことがあるそうです。札幌オリンピックでは、日の丸飛行隊と呼ばれたスキージャンプの選手が、優勝の喜びのあまり日の丸をかざして滑走したところ、その日の丸をトリミングして消した某新聞もありました。で、以来、今日にいたっております。

 学校の教室を生徒達に掃除させるという有職故実が生きています。

 欧米の国々には無いシキタリのようですね。なかなか良いシキタリだというので、エジプトでは日本式を取り入れてやっているようです。やはり、シキタリにうるさい人間の一人ぐらいは、社会や組織には必要なのかと思います。
 


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