徒然草 第六十五段
この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。
ここで言う「この比」とは、兼好が生きていた十三世紀の初め頃。室町幕府は、できたてのホヤホヤで、まだ、その権力基盤は固まっておらず。朝廷も南北朝に分かれ、互いに正統を主張。要は社会不安の時代であります。
で、そのころの都のファッションは烏帽子や冠が高く(長く)なる傾向があったようです。
昭和の御代に、景気が悪くなると、スカートの丈が長くなると言われたことと似ています。
むかし、こんな分析をする人がいました。
スカートが短くなれば、女性は下に穿くパンツに気を遣い、単価の高いパンツを買うようになる。千円で三枚なんて物には目もくれず、三千円ぐらいのパンツを平気で買うようになる。で、その経済効果は、年間で一兆六千億円にもなるとか。
しかし、これは昭和の伝説で、バブルこの方、女のスカート丈は短いままです。正確に言うなら、ナンデモアリの時代になった。短いスカートやチュニックの下に、平気でGパンを穿く。ひところ、男がスカートを穿いた時期もあった……と、思って検索したら、ネットで堂々と「現代のモノ」として、男性用スカートを売っていました。数年前には、クールビズの一環として、大まじめに「男性用スカート」が研究されたりもしました。
男性読者の九割はスカートなど、お召しになったことは無いと思います。わたしは若い頃、バイトで穿かされたことがあります。
わたしは着ぐるみショーのバイトを長くやっていました。「一休さん」「仮面ライダー」「キャンディーキャンディー」などなど。
「一休さん」では朴念さんという先輩の小坊主。「仮面ライダー」ではショッカーの親玉。「キャンディーキャンディー」では、院長先生(修道女)や、時に憎まれ役のイライザに入ることもありました。そうそう、「キャプテンハーロック」では、女王ラフレシアをやっていました。当時は、体重で今より二十キロも軽く。ウエストは三十センチ以上細く。手足も華奢だったので、よく女性のキャラが回ってきました。
で、スカートを穿いていました。
スカートとズボンは、基本的に違います。スカートは、自分の太ももが直接接する。あの感触は穿いた者でなければ、分からない。あの感触は、ズボンと違って、絶えず自分というものを意識する。だから、女性というのは自己中心的なのだ……などと飛躍はしませんが、思考の中に占める自意識というのは、男より強いのではないか……という言い方でも、お叱りを受けるかもしれませんね。
もう一つの内容。そのころの貴族たちは、冠を入れる箱を新調せずに、前からの箱を継ぎ足して高くして使っていたようです。
これをミミッチイととるか、「流行なんか、すぐに変わっちまう。間に合わせでよろしい」という合理性ととるかで、判断が違ってきます。
その後、どうなったかと言いますと、冠の長さは短くなります。
その点で貴族たちの予測は当たったのですが、短くなったのは織豊政権の終わりごろ、三百年も後の事であったと思います。冠の箱を元に戻せたのは玄孫のそのまた玄孫の時代です。
はてさて、では、兼好自身は流行には乗らなかったのか? と思ったら、兼好は坊主のなりをしておりました。
ひょっとしたら、法体(坊主のなり)でなければ、一度試してみたいと思ったかもしれませんねえ。