RE.乃木坂学院高校演劇部物語
「お互いに、ここまで言うてしもうたんだ。もうワシから言うことはない。彦君とお二人には申し訳ないが、今日のところは諦めてください。大雪の中、済まんことでした」
お祖父ちゃんが頭を下げた。
「貴崎先生、この高山彦九郎、乃木高の門はいつでも開けておきますからな」
「校門は八時半閉門と決まっておりますが……」
バーコードのトンチンカンにみんなが笑った。
「ありがとうございました……」
わたしは、そう言って、その場で見送るのがやっとだった。
雪が左から右に降っている。
と……いうわけではなく。ただ単に、わたしが右を下にして寝っ転がっていただけ。
ゆっくりと起きあがる……当たり前だけど、雪は上から下に降っている。
ちょっと感覚をずらすと、自分が空に昇っていくようにも感じる。
昼過ぎに潤香の病室でも同じように感じた。
ほんの、三時間ほど前のことなのに、今は、それを痛みをもって感じる。
夕闇が近く、庭灯に照らし出され、いっそうそれが際だつ。
まるで無数のガラス片が落ちてきて、チクチクと心に刺さるよう。
物の見え方というのは、自分の身の置き所だけでなく、心の有りようでこんなに違う。
あれから仏間に行った。
久々に「我が家」の仏壇に手を合わせる。
この仏壇の過去帳に両親の法名が書かれている。
一度も開いてみたことはない。
お祖父ちゃんは、両親が亡くなってからも「いっぱしの何かになればいい」とだけ言って自由にさせてくれた。一時は両親の後を継いでとも思ったけど、言葉に甘えて、それでもいっぱしの教師になった……つもりだった。
寝起きしている我が家の方にも玩具のような仏壇がある。お線香臭くなるのが嫌で、毎朝お水をあげている。「我が家」のしきたりを思い出して、輪棒に向けた手をお線香立てに伸ばす。
あ……
三つに折ったお線香が、まだ小さな炎(ほむら)を残していた。
「お嬢さま」
驚いて振り返ると、峰岸クンが立っている。
「なあに?」
「あの、お申し付けの年賀状です」
「あ、そうだったわね。ありがとう……あのね」
「はい、お嬢さま」
「その……お嬢さまって呼び方、なんとかなんない?」
「じゃあ……先生っていう呼び方になれるようにしていただけますか」
「ハハ、それは無理な相談だな……あ、年賀状こんなに要らないわ」
「書き損じ用の予備です」
「わたしが書き損じするわけ……あるかもね。ありがとう」
わたしが、たった三枚の年賀状を書いているうちに、峰岸クンは暖炉の火を強くしてくれていた。温もりが心地よく伝わってくる。
「ひとつ聞いてもいいですか」
温もった分、距離の近い言葉で聞いてきた。
「なあに……?」
わたしは、三枚目まどかへのを……と、思って笑ってしまった。
「思い出し笑いですか?」
「ううん。三枚目がまどかなんで、おかしくなっちゃって」
「え……ああ、確かにあいつは三枚目だ」
少しの間、二人で笑った。
「で、質問て……?」
「どうして、苗字が貴崎と木崎なんですか?」
「ああ、それはね戦争で区役所が焼けちゃってね。新しく戸籍を作ることになって、お祖父ちゃん、書類の苗字のところを平仮名で書いたの」
「どうして、そんなことを?」
「当然、係の人に聞かれるでしょ。で、係の人がどう対応するか試したの」
「ハハ、オチャメだったんですね」
「で、キサキさん、このキサキはどんな字なんですか。と、聞くわけ」
「ハハハ、それで?」
暖炉の火が頃合いになってきた。
「で、普通のキサキだよって答えたら木崎と書かれてそのまんま。会社の方は片仮名の『キサキ』だし、わたしは『貴崎』の方が……」
そこまで言うと、峰岸君が人を招じ入れる気配。
振り返ると、わたしより先にお線香を立てた木崎が立っていた……。
☆ 主な登場人物
- 仲 まどか 乃木坂学院高校一年生 演劇部
- 坂東はるか 真田山学院高校二年生 演劇部 まどかの幼なじみ
- 芹沢 潤香 乃木坂学院高校三年生 演劇部
- 芹沢 紀香 潤香の姉
- 貴崎 マリ 乃木坂学院高校 演劇部顧問
- 貴崎 サキ 貴崎マリの妹
- 大久保忠知 青山学園一年生 まどかの男友達
- 武藤 里沙 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
- 南 夏鈴 乃木坂学院高校一年生 演劇部 まどかと同級生
- 山崎先輩 乃木坂学院高校二年生 演劇部部長
- 峰岸先輩 乃木坂学院高校三年生 演劇部前部長
- 高橋 誠司 城中地区予選の審査員 貴崎マリの先輩
- 柚木先生 乃木坂学院高校 演劇部副顧問
- まどかの家族 父 母(恭子) 兄 祖父 祖母