わたしの徒然草・6
人間五十七年も生きていると、なにかしら昔のことが懐かしく、良いように思われます。
仕事柄(金にはなりませんが)芝居を観る機会が多くあります。二年ほど前までは、病気のせいで、芝居を観る機会は少なかったのですが、去年から、がぜん観る機会が増えました。
一つ気のついたことがあります。
昔に比べて、モギリや場内整理係の応対が非常にいいのです。
「大橋さまでございますね、はい、うけたまわっております。はい、こちら半券とパンフレットになります。どうぞごゆっくり御観劇くださいませ」「はい、自由席になってございますので、お好きな席におつきくださいませ……あ、前のほうがご覧になりやすうございます」「あ、わたし後ろのほうがええんです(観客の反応を見るためにも、後ろで観ることにしている)」「そうですか(ちょっと困惑の表情)……それではご自由に。お足元にご注意くださいませ(懐中電灯で、照らしてくれる)」ワンベルが鳴って、客電がおち、MCのオネエチャンが、飛行機のキャビンアテンダンドのような慇懃さであらわれる。「本日は、○○劇団第○回公演にご来場くださいましてまことにありがとうございます……(以下、それこそ、キャビンアテンダントのごとく、微にいり細をうがつ慇懃さで、観劇のマナーや、トイレの案内、緊急時の避難方法、終演後のアンケートなどにつて、ご説明してくださる)」
わたしは、吹けば飛ぶような、ほとんど無名な劇作家なので、いただく招待券は比較的若い人たちや規模の小さい劇団が多い。むかしの劇団は、アイソが悪かったような記憶があります。モギリのオネエチャンもせいぜい「どうぞ」「はい」 ひどいのになると「うん」 もっとひどいのになると無言で半券をつきだす。
では、中味の芝居は昔の方が良かったかかというと、必ずしもそうではあいません。
ただ、むかしの芝居にはどこかしら毒があったような気がします。なにやら鬱積したものがヘタクソながら滲み出ていました。今の芝居は予定調和というか、大団円というか、ファンタジーというか。良くも悪くも毒が薄いように感じます。多少の波乱やケレンミがあっても、最後は信頼や友情などのカタルシスで幕が下りる。わたしが若かったころは石油ショックのあとではありましたが、今ほどの不景気ではなく、それほどの閉塞感もありませんでした。しかし、なにやら、不安や不満、喪失感が上演作品にあらわれていたように思います。
首をひねりました。この慇懃さと毒気の無さはなんだろう?
はたと気がつきました。
この慇懃さは、ファミレスやファーストフードのバイトのマニュアル化された慇懃さと同じ……かれらは、バイトや派遣で、そういう接客態度が身にしみこんでいるのではないかしらん。なかば気の毒に思い、なかば、このマニュアル化された慇懃さが鼻につきます。
では、この毒気の無さはなんであろうか? 思うに、芝居とはこういうものだと思いこんでいるのではないでしょうか。たとえ、公演後、派遣切りに遭おうとも観客に夢を与えることが芝居の使命なんだと。いや、考えすぎか……
いまの若い人たちは、芝居のウラのことには、わたしたちが及ばないほど知識が豊かであり、小屋の機材の使い方にも慣れている様子であります。照明や音響による心理描写や、情景描写がうまい。しかし肝心の表現する本が貧しい。創作劇が多いですね。既成の台本はあまりやりたがろうとはしない。わたしたちが若かったころは、別役実、安部公房、清水邦夫、つかこうへい、イヨネスコ、ブレヒト、ベケットなどをよくやりました。いまは、それだけ若い人の心をつかむ作家が見あたらないのかもしれませんが、ハナから読んでいないのではないだろうかという気がします。
書店の演劇書コーナーが無くなった、もしくは大幅に縮小されてきたことがそれを証拠だてているように思うのですが。単に、出版不況のあらわれ……なのかもしれませんが。
わたしは、二十歳のころから本を書くようになりましたが、それまでに、二百本ほどは他人様の本を読んでいました。それでも年寄り……もとい、先輩たちは、「大橋君、君の本はおもしろいんだけど、もっと古典を読まなくっちゃ」と、にこやかに苦言を呈されました。そのうちのお一人は、わざわざ、大阪にお立ちよりのとき、わたしを呼び出され、三時間にわたって、お小言をいただきました。このお方は六十歳から、独学でノルウエー語を独習され、十年かかって、イプセンの全作品を翻訳された原千代海師であります。師は、ハリハリ鍋をつつきながら、「大橋君。きみは何冊くらい他人様の本を読んだの?」「はあ、四五百本は……」「ふーん……少し少ないなあ」「どのくらい少ないんでしょうか……?」「ゼロが二つほど足らない」「…………」
何事も古き世のみぞ慕わしき……でありました。