大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

らいと古典 わたしの徒然草『1・徒然草ショック又は事始め』

2021-02-09 06:39:37 | 自己紹介

 わたしの徒然草・1  

『徒然草ショック又は事始め』    

 

 

 十年前、横浜の出版社の依頼で始めたエッセーですが、ちょっと懐かしくて加筆訂正しながら復刻してみることにしました。気づけば当年とって兼好法師の享年になります。これも何かの縁でしょうか。どこまでいけるかわかりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

 令和三年二月

 

 徒然草について書こうと気軽に思いました。


 高校の古典で学び、司馬遼太郎や瀬戸内寂聴などのエッセーなどでも時々見かける古典中の名作。それも源氏物語などと違って、二百四十三段のエッセー。『石清水八幡宮の仁和寺の法師』など、すでに知っているものもあります。枕草子、方丈記と並ぶ名作。とは言え、二百四十三もあれば適当にフィーリングの合うものをつまみ食いすれば……ぐらいの感覚で、とりあえず嵐山光三郎氏のジュニア版を読んでみました。監修が司馬遼太郎、田辺聖子、井上ひさしとお馴染みさんなのも気に入りました。嵐山氏の訳も軽妙で、寝ころんでタイ焼きなどをかじりながら、それこそ、ウフフ、アハハと気軽にかじり読み。

 しかし、百五十一段の『五十歳を過ぎたら』で、愕然としてしまった。しまった! 親父ギャグのようであるがまさに、しまった!……大意は以下のようです。

「五十歳を過ぎて上手にならないような芸ならば、それ以上精を出しても将来性がないから捨ててしまったほうがいい」 

 わたしは五十路に入って八年目になっており「いまさら、なにをやってもあきまへんで~」と兼好法師にのっけから言われたように感じたものです。

 五十五で教師を辞め、二十歳から始めた芝居も泣かず飛ばず。「遅い遅い、もうやめときなはれ~」と七百年の過去から兼好法師のオッサンの笑い声が聞こえてきそうな気がしました。これは出版社社の編集さんに泣きをいれんとしゃあないなあ……と、半ばあきらめました。

 花曇りの空の下、満開の桜が並ぶわが町の桜の名所、玉串川沿いの小道をぶらぶらと歩いてみました。近鉄山本駅の踏切を渡りハラハラと舞い落ちる桜の花びらの行方を何気なく追ってみる。 と……そこに『今東光和尚と天台院。西へ……』の銘板。

「あ、せや、今東光はここに住んどったんや!」と、思い出す。

 今東光。ご存じでしょうか、小説家にして衆議院議員、天台宗の悪たれ坊主。三船敏郎、中野良子が出演した『お吟さま』の原作者で、この作品で直木賞をとった……と言っても、若い人にはお分かりにならない……瀬戸内寂聴の師僧。つまり瀬戸内晴美を尼さんにした坊主。え、瀬戸内寂聴がわからない? ネットで検索願います。

 その今東光が若いころに住職をしていたのが天台院で、目を駅前の交番に転ずれば、その西五十メートルに今東光が通った理容店が今も健在。東光和尚が住職になって間もないころ、立ち寄った散髪屋さんがここなのです。

 当時ありきたりだった店名を、女主人が「なんか、ええ店の名前おまへんやろか?」と東光師に尋ねました。

「よっしゃ、まかしとき!」と、東光師。

 数日後墨痕鮮やかに書かれた店名が『美人館』。今も看板はそのままであります。檀家まわりの袈裟も無く、風呂敷を袈裟がわりにしたという豪傑で、なによりもわたしを感動させるのが「カミサンにするんやったら清友の娘やなあ」の一言。清友とは、わたしが教師になった初任校で、東光和尚のころは八尾市立の女子高でありました。口は悪いが気っ風の良さは河内で一番。惜しくも一昨年(当時)の三月で近所の高校と統廃合になってしまいました。大阪府は進学に特化した高校を十校あまり作ることになっていましたが、こういう名物校も残しておいて欲しいものであります。

 花曇りの玉串川の小道の向こうから、和服に杖の老人が……あ、莫山先生?……似ていました。榊莫山、ご存じの方は五十以上の年配の方でありましょう。昭和を代表する書道家で、その飄々とした風貌はテレビなどで覚えておられる読者もおられるかもしれません。その莫山先生のお散歩道もこの玉串川沿いでありました。
 
 なにやら、わが町自慢のようになってきましたが、そういう先達の人々を頭にうかべて、自分自身をヨイショしているのであります。わたしたちは団塊の世代のしっぽであり、三無主義といわれた無気力世代の頭でもあります。団塊の世代ほどのガッツもなければ、おとなしく自分の殻の中で充足する落ち着きもありません。
 そこで考えてみました。兼好法師の生きた鎌倉末期と、この平成の二十年代の違いを。鎌倉末期の日本人の平均寿命はいいところ四十に手が届くかどうか。兼好法師の六十八という享年は当時としては超長寿であります。較べてこの平成の御代の平均寿命は、男でほとんど八十歳。これを当てはめてみれば、兼好法師のいう五十歳は現在の九十歳くらいと思えますがいかがでしょうか? とすれば今の五十八など当時の三十路そこそこ。うん、この感覚でいこう! 

 今、図書館から講談社の徒然草(三木紀人全訳注)を借りてきた。財政きびしいわが町の図書館ではありますが、『徒然草』だけで六十余冊の本がある。まず我が徒然草事始め。ショックの百五十一段からでありました。    


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